そううつ色々図鑑ーメンヘラ歴1/4世紀ー

双極性障害持ちゆえに出会った色々な人たち、出来事について。精神科入院生活の有様。サイテーな家事・育児についても。

患者図鑑114 お母さん2ー心理的安全性ー

赤ちゃん

大分間があいてしまったけれど、

utuutuyasuyasu.hatenablog.com 

の続きです。

石塚さんはお母さんのエピソードを頻繁に口に出すだけでなく、唐突に

「お母さん…」とつぶやく事が良く会った。

例えば昨日のW杯のドイツVS日本の試合。録画なり中継を見ていたり、また試合終了後に話題に取り上げるとしたら「堂安の同点ゴール、流れを変えたよね!」「強豪ドイツ相手に大金星だよね」と言った話題になると思う。

石塚さんだったら「そうね、すごいね」と相槌を打ったあと、間を置いて何の脈絡もなく「お母さん…」とつぶやくのだ。

あらゆる場面において、石塚さんの話題とは何の関係も無い「お母さん」呼びが見られた。初めは周りも驚いていたが、段々ただの感嘆詞、意味のないつぶやきと捉える様になっていった。

 

私は不勉強で知らなかったのだけれど、最近ビジネスの世界で「心理的安全性」という言葉がはやりだそうだ。Google社が再発見して広めた言葉だそうだが、

心理的安全性」とは、職場で誰に何を言っても、どのような指摘をしても、拒絶されることがなく、罰せられる心配もない状態のことをいいます。(下記HPより)

jinjibu.jp 心理的安全性が確保された状態で、よりよいパフォーマンスや生産性が期待されるのだと。

私に心理的安全性という言葉を教えてくれた人は、人間に取っての最初の心理的安全性は母親と子供の間に生まれるとのだ言った。

(文中は全て仮名・仮称です)

気がつけば300投稿超え

御礼

気がついたらこれが304目の投稿だった。

ブログを始めたのが、今年の春。その時初心者向けの心得を検索していたら、まずは

「100投稿」(←何とかクリア)それを終えたら、「次の目標は300投稿」とあった。

100投稿終えた時は、嬉しくて記事にした。

utuutuyasuyasu.hatenablog.com

お褒めやお祝いの言葉も頂いてとても嬉しかったのだが、その後で次のステップ、300投稿の事をふと考えると一日一投稿として、200日… 100記事が5月だったから、計算するとおよそ半年先?もう冬?と思うと気が遠くなる思いだった。

それまで書き続けられるだろうか。ネタ切れ、気力や体力切れ。私はもともとあまり習い事なども続かない飽きっぽい性質である。ブログでなく、紙の日記帳をプレゼントされたり買った事もあったが一か月も続かなかった。ブログも100行かずに止める人が多く、300となるともっと減ると言う、果たして私は続くだろうか。

このブログのタイトルにあるように躁鬱持ち(双極性障害二型)なので、鬱モードに入ったらとてもブログなど書けるはずもない。逆に躁モードになったら一日十投稿などしてしまうかもしれないけれど。

なので、300投稿が達成できるかはなはだ自信がなかった。でも、スターを頂いたり、

訪問して下さっている方に励まされ、本当に具合が悪くなったら書けなくなってしまうから、書けるうちに書こうと思って何とか300記事達成できた。

例えば芸能人だったら、どこへ行った、何を食べただけでも興味深いブログになるだろうが、私が今日買い物に行って野菜を買った、ファストフードに行ったと書いても誰も歯牙にもかけないだろう。

書籍顔負けの深い造形や知識を持って伝授・披露できるわけでもない。

インフルエンサーとなるような、おしゃれで刺激的な生活を送っている訳でもない。

が、長年精神疾患を患って、呻吟したり当惑したり、絶望に陥ったりぬか喜びしたりした。精神科医に何人も遭い、精神病院に入院した経験は、それを垣間見る機会のない人にはちょっと興味をひくかもしれないし、同じような病気を持っている人には少しでも役に立つ情報もあるかもしれない。

そんな動機で書き始めたのだけれど、書いて行くうちに記憶の底に沈んでいた事柄が色々と思い出され、追体験するようで私自身の為にもなった。もう会うこともない入院仲間に何らかの形で触れられるととしたら、ここでブログに書く事くらいしかない。

なので私も書いていて楽しかった。

途中で結構私生活で大きな出来事があったのだが、半ばルーティン化したブログを冷静に書く事でその出来事に振り回されず平常心を保つ一助になったと思う。

ブログを続けていた余禄がもう一つ。ある事の紹介の文章を書いてくれと頼まれた。

、それも一から書くと言うよりある程度の材料があってそれをまとめるという作業だった。ちょうど原稿用紙にして一枚分(400字)にしてくれという。ゼロから案を出してブログを書く事に比べれば遥かにたやすく、半日で書いて提出したら、依頼して来た人に「はやーい。凄いね」と驚かれた。内容を考えて毎日ブログを書く事で、少しは見えないスキル(というのも大げさだけれど)がついているのかもしれない。

という事で、300の次の目標は幾つなのかまだ調べていないけれど、これからも記事を見て下さる嬉しいです。

今週のお題「わたし○○部でした」8 バラ色の青春

 

バラ色の青春


今週のお題「わたし○○部でした」

思っていたより長くなっちゃいました。ラストです。

 

高校受験勉強中は、テニス部に入って部活・勉強 頑張るぞ!それでこそ青春、と思い描いていたのがちょっと違う形になってしまったのは既に書いた。

utuutuyasuyasu.hatenablog.com

今回は私からしたら理想的な、部活に打ち込んだ高校生活を送った人の話。

内田君は、大学卒業後に入社した会社の同期。同期同士は仲良しで、良く集まって飲み会をした。

聞けば内田君は中学~大学までずっとバレー部だったそうだ。

「内田君、背高いもんね。10年続けるなんて凄いね。活躍して、モテたでしょ(笑)」

というと

「いや、全然モテないよ。俺男子校だったし、大学入っても男子バレーは女子と練習も何も全然別だもん。ずっと男の汗臭い世界」

「でも、一つの競技に打ち込むっってかっこいいじゃん」

「うーん…」

内田君は言いよどんだ。聞けば、内田君は中高一貫校なので、バレー部の顧問は同じ人なのだが、スパルタ指導で有名な教師だったそうだ。それも不思議な事に普段の授業(英語の教師だった)では穏かなのに、ことバレーとなると人格が豹変するらしい。

「俺たちの間ではさ、美濃先生(顧問)はバレーの顧問が主で英語の授業は従と言われてた。テキトーに英語やって、放課後が勝負、みたいな」

「楽しいとかそういうのじゃなくて、とにかく美濃先生のもとで6年しごかれたって印象しかないな」

6年耐えた内田君は、バラ色の大学生活を夢見た。

「テニスとかスキーとか、新しいスポーツを楽しく女子とやってさ…」

ところが、大学に合格してこれからサークル(もう本格的部活はこりごり」を吟味しようとうかれていた内田君に青天の霹靂が。

バレー部の一年先輩で、先に同じ大学に入学していた恵井さんがから電話があり、

「おう、内田、うちの大学入ったんだってな。バレー部(もちろん体育会)に入りますって監督に言っておいたから」

恵井さんが「今ちょうどアタッカー卒業して困ってたんだよな。お前入ってくれて(え?)助かるよ」と浮かれて話すのを気の遠くなるような思いで聞いたと言う。

6年間の運動部先輩に絶対服従の精神が確立してしまった内田君は恵井さんの命令に逆らう事が出来なかった。というか、監督と恵井さんの間ではもう内田君は入部する事に(勝手に)決まり、入部者リストに入っているらしい…

「で、その監督が美濃先生に輪をかけた鬼監督で…」

でも、そう話しながらもどこか内田君は楽しそうで、延べ10年間で培われたバレー人脈は大切な財産だと言っていた。

(文中は全て仮名・仮称です)

 

今週のお題「わたし○○部でした」7 美人をリクルート

美人

今週のお題「わたし○○部でした」

興が乗って書き進んじゃいました。さて前回の続き。

わが校における野球部マネージャーのリクルート以下のようであった。

新入生が入学する⇒三年部員からかわいい子をチェック&マネージャにスカウトするように厳命⇒新一年生が実行、かわいい子をマネージャーに口説きにかかる

(当然私には声はかからなかったw)

かわいい子や美人の子もやりたい部活がある。私と同じクラスになったちなつは、目のくりっとした可愛いタイプでさっそく野球部のマネージャへと声がかかっていた。しかしちなつは小学校からとても熱心にバレーボールをやっていて、バレー部に入りたいから無理、と瞬時に断っていた。しかし「何にもしなくていいから!(え?)対外試合の時に顔を見せてくれたらいいから!(??)」と口説き落とされて、結局マネージャーになっていた。結果、3人一年の女子がマネージャになったのだがどの子も綺麗・可愛い子ばかりで良くも集めたな、と感心した。3人とも他の部活に入っていたが、約束通り「行ける時に行く」条件で入ったらしい。普通マネージャーがやるような業務は、全て一年生部員が行っていたという事だ。ある時、ちなつが「本当を言うと、私野球のルール良く分かってないんだよね」と打ち明けたのには笑った。

とは言え、3年の内には段々ルールも理解して来て部に対する愛着も湧いてきたようで、可能な限り野球部の練習に立ち会ったり協力するようになっていった。

今週のお題「わたし○○部でした」6 マネージャーでマウント

野球

今週のお題「わたし○○部でした」

部活ヒエラルキーについて書きかけて話だ脱線してしまったが、卓球の水谷選手も他の運動部に比べて卓球部の不遇ぶりを語っていたので、それはどこでもある話なのだろう。

ある男子生徒は「俺、モテたいから野球部に入った」と公言していた。確かに野球部やサッカー部は目立つし、それだけで高校生間ではポイントが高かった。野球、サッカーの他はバスケ部や剣道部。うちの高校は規則がゆるかったので、例えば練習を終えたばかりの剣道部員が着替える暇が無く、剣道着のまま(もちろん面や小手は外す)のまま授業を受ける事も容認されていた。

いつも見慣れた○○君の剣道着姿は結構決まっていて、女子間で「意外とかっこいいね」「いつも剣道着姿でいればいいのにね」(←酷いw)などど噂した。

逆にバレー部はユニフォームが超ダサく、背も高くイケメンのはずの男子もそれを着るとかっこよさ2割減。

 

野球部は、熱血野球少年も居れば目立ちたいから、モテたいからという不純な動機の部員もいたのだが、それが如実に表れたのが野球部のマネージャーだった。花形部のマネージャーはやはり花形なのだが、マネージャーって入部と同様、志願制だと思うのだがうちの高校… というか私の代に限っては「採用制」だった。懇願性と言っても良いだろうか。

野球部は対外試合が多い。その時に綺麗どころを連れて行ってベンチを華やかにしたい、美人マウントを取りたいというのが当時の野球部の方針のようだった。

 

今週のお題「わたし○○部でした」5 部活ヒエラルキーと聖典

スクールカースト

今週のお題「わたし○○部でした」

急に高校時代がリアルに思い出されてきて、調子に乗って部活パート5。前回書いたようにそこそこ人数のいる共学校で、多彩な部活がある環境だった。自分の部活はあまり活発なものではなかったけれど、クラスの生徒が「今日✕✕高と試合あるから見に来て」と言われて応援に行ったり、野球部の生徒が汗をかいて練習をしているのを見ながらそろそろ甲子園予選だ

うちの高校だけに限った話ではないが、部活にはヒエラルキーがある(と思う)。

どん底は私も一時所属(?)した「帰宅部」。帰宅部で検索したら関連キーワードに

帰宅部 クズ」「帰宅部 嫌われる」と出て来た。同時に「帰宅部 楽しい」「帰宅部 でよかった」もあったけれど。

帰宅部は一概に悪いとは言えない。例えば友人のaは音大進学を目指していて、その為にはそれなりのレッスンを受けないといけないらしく、部活に割ける時間がないと言っていた。彼女は分類すれば帰宅部になるのだろうが、それは部活より上位なものがあるから。積極的な選択と言えよう。

文化系も色々な部があって、料理部のようなほとんど部活の体をなしていない物もあれば、いわゆる「ガチ」の朝練、休日練あたりまえの部活(うちの高校で言えば演劇部・合唱部・吹奏楽部など)もあった。文化系だけど体育会系。

運動部も対戦相手がいない(そのスポーツの部活がある高校がほとんどないのだ)マイナー系、季節スポーツ(水泳部)、チーム競技から個人競技まで色々取り揃っていた。

スポーツをやっている生徒にはかなりの確率で聖典があって、スサッカーならキャプテン翼。野球は水島新司あだち充ちばあきおなど。SLAM DUNKの連載はずっと後だが、今ならバスケ部員でSLAM DUNKを読んでいない生徒はいないだろう。

今週のお題「わたし○○部でした」4 部活模様

高校生

今週のお題「わたし○○部でした」

と言う訳で私の高校部活は一年⇒テニス部 挫折してフェードアウト退部 二年・三年⇒なんちゃって部活 料理部 で幕を閉じたのであった。

 

お題のお蔭で本当に久しぶりに高校時代の部活の事を思い出して、ちょっとテンションが上がってしまったので、私の高校の部活模様に触れてみたい。

 

私の高校は中規模の共学で、敷地面積にも恵まれていたので多くの部があり活動は盛んだった。私が一時帰宅部であったのは既に書いたが、幽霊部員やなんちゃって部活に属している生徒はいても、純粋にどこにも属していない人はあまりいなかった。

選択肢が多いので、どこかしら所属出来る場所、自分に合った場所が選べたのだと思う。高校卒業以降知り合った人からは、学校のグラウンドがとても狭く、運動部を置こうにも限りがあったとか(例えばプールがないので水泳部がない)少人数学校なので部の数が少なかったとかいう話を聞いた。

当たり前の話だが、女子高であると合唱も女性コーラスしか出来ないし、演劇も女子部員しかいない。なので宝塚みたいな事になると話していた。私の高校は男女率がほぼ1対1だったので、普通に男性の役は男性が、女性の役は女性が演じていたので驚いた。

逆に男子校出身者は手芸部や料理部は存在しないと言っていた。

中高一貫に高校から入学すると、特に運動部は中学からずっとやってきた生徒との間に技術的な差とよそ者が混ざった感が合わさって両方で苦労したとか。またどうしても受験勉強期間というブランクが生まれてしまうのも、辛いらしい。

一方バレーボールバリッバリのY君は、飛び抜けた長身と運動神経で中学から上がって来た子を蹴散らして1年で補欠に入ったのだが、それはそれで嫉妬を買って大変だったそうだ。