スピリチュアル図鑑26&ヘルパー図鑑34 風水の館
ここのところ、初夢やゲン担ぎの記事を書いていたらふと思い出した。
私がメンタルの調子が悪く、家事が十分できずにヘルパーさんをお願いしていたことは
既に何度も書いている(カテゴリー ヘルパー図鑑)
そのうちの誰だったか、続いて通ってくれていた人が家族の体調が悪いとかで、
一か月ほどピンチヒッターとして入って貰った佐渡さんという女性。
ヘルパー利用は週二回だから、一か月=計八回来ていただいた事になる。
はじめは給湯のボタンはここで、布巾の入れ場所はここで… といった一通りの
説明をして、「分かりました」と佐渡さんが家事援助に入る。
二、三回来て頂いて、少しお互いに慣れたかという時に佐渡さんが言い出した。
「あのー、この小机、こちらに動かしていいですか?」「ここにお花を飾った方がいいと思うんですけれど」
いろいろ家の中の物の配置にコメントするようになってきたのだ。
花は飾るに越したことはないけれど、具合が悪い時は水やりも億劫だ。小机を動かしたいというのは動線上の問題??
適当に受け流していると、今度はカーテンの色は何色がいいとか、キッチンの小物の色は何色がいいとか話が発展していく。
良く聞いて見れば彼女は風水に凝っているのだという。花や机の配置、カーテンの色などは風水上そうすれば「安井さんの運気が上がりますよ!」ということらしい。
彼女からみたら、私の家は風水的に改善の余地が大あり。私の健康問題も風水で良くなりますよ!と言う。勿論家主、私に無断で物の入れ替えや配置換えをする訳ではないし、何かものを押し付けたり売ったりするわけでもない。
彼女の言うとおりにしたら運気があがるのかな?と気持ちがちょっと動いたのも事実だ。佐渡さんは自分のお財布を見せてくれたけれど、どこに売っているのかというふうな金ぴかの長財布で、これがあるとお金が財布のなかに居つくんだと言っていた。
また、佐渡さんは離婚されてシングルなのだが、絶賛パートナー募集中だとの事。
恋愛運を上げるにはピンクが良いらしく、そう言えばいつもピンクのパンツを履いていた。(ズボンと言う意味のパンツ。下着もそうだったかは知らない(笑))
風水を一概に否定する訳ではないけれど、運気が落ちる家より上がる家に住みたいけれど、私が理解も納得もしきれていないのに、また他の家族その意向も聞かないで佐渡さんの言うがままにする気は起きなかった。
そうして私の家は佐渡さん風水的には改善の余地大ありのままで今に至っている。
(文中は全て仮名・仮称です)
初夢ー 新春開運3 私、いくらを産みました
今週のお題「初夢」について二回記事を書いていたら、昨日変な夢を見てしまいました。
「私」がいくらを産んだ夢。そして産んだいくらを見て、おいしそうだな~ 食べようかなっと思う夢でした。夢の中では私は鮭でなく人間なのに、自分からいくらが産まれたことに何の違和感も持っておらずに、それを食べようというシュールな夢でした。
これは夢占い的にはどうなんだろう??といろいろ検索してみましたが、いくらを食べる夢、いくらの寿司が出て来る夢などの解釈は出て来ますがさすがに自分がいくらを産んだ夢というのは見つからなかったです(苦笑)
ただ、卵を産んだ夢というのに対する解釈はあって
「自分が卵を産む夢は予想もしていない奇跡的な幸運の訪れの暗示で大吉夢です。
人間が卵を産むと言うのは現実離れした現象ですが、それと同じくらい信じられないような幸運が起こるという暗示です」
えー--っ それって鷹が茄子をくわえて富士山の上を舞うよりすごいかもしれない…
多分、上記の夢占いは人間が鶏卵を産むイメージなのでしょうが、いくらを産むのは更にあり得ないことなのでよっぽどすごい事が起こるのでしょうか??
もしそんな事が起きたら、ブログでご報告させて頂きます(笑)
初夢ー 新春開運2
前回からの続き。
宝船の絵を枕の下に敷き、回文を3回唱えるようになっても
、それ以前もいわゆる「吉夢」とされるものを一度も見た事はありません。
一富士二鷹三茄子と言われます。私がその言葉を知ったのは小学生の頃だと思いますが(祖父の家にこの三要素を取り入れたにした置物があった)、以降○十年、かすった夢すらみたことがありません。
宝船を見るのも吉夢だそうです。枕の下に絵を敷いているのに、頭蓋骨にブロックされてしまって脳にまで行ってくれてないみたいです(涙)
一富士二鷹… で三までしか知らなかったのですが、四以下も一応あるようで
四扇
五煙草
六座頭
だそうです。四~五も一度も見た事はないですね。
知人や友人に聞いても、絵に描いたような初夢を見たという話は聞きません。例えば宝くじに当たった、お年玉年賀はがきで一等賞があたった、30倍の倍率のマンションの抽選に当たったー 全て知人の実際の話です。でも「富士山の初夢を見た!」「初夢に鷹が出て来た」という話は聞いたことがない。別に人に言ったらツキが逃げるというものでもないので、見たら話題にしそうなものだけれど… 意外と見る人はいないのでしょうか。
ここで疑問に思ったのですが、例えば富士山の夢を見たとしても、富士山が噴火して大災害になる夢をみたらそれは吉夢でしょうか?鷹が群れをなして自分を襲ってくる夢をみたら、それは吉兆と言えるのでしょうか?茄子を食べて盛大にお腹をこわす夢は?多分そんな夢だったら、寝ざめも後味も悪いと思うのだけれど。
羽根の折れかけたボロボロの鷹が、腐った茄子をくわえて富士山に特攻していく… 要素としては三つ要素は揃っているけれど、それはとても吉夢とは思えません。いや、一周回って大吉…?? 夢診断のプロの意見を聞いてみたい。
初夢ー 新春開運1
今週のお題「初夢」です。
私は年中行事、それにまつわる習慣・儀礼そして縁起かつぎが大好きです。一年のうち年中行事は数あれど、お正月は別格です。支度も、ごちそうも、儀礼もどの年中行事より念入りで多彩です。
初夢も正月の諸々の風習の一つで、一年の吉凶を占うとあってはあだやおろそかには出来ません。
ここで脱線しますが、お正月というと初詣・おせち・お雑煮・お屠蘇あたりが一般的に家庭で見られる風景だと思いますが、私はそれに色々足しています。
・初日の出を拝む(これはされる方も多いでしょう)
・四方拝(東西南北を拝む)
・若水を汲む(井戸はないので水道水で)
・若水で福茶を入れる
・洗濯をしない
・掃除をしない
・入浴をしない
を行っています。これは実家(や婚家)がそうしていたのではなく、自分で正月の風習や縁起かつぎを調べて、勝手に加えていったのです。なので家族でやっているのはは自分だけ、というものもあります。
洗濯や掃除、入浴は福を流さないようにという事から来ているらしく、他にも水仕事、刃物を使う、火を使うも避けた方がいいらしいのですがさすがにそこはしない訳にはいかないので、最小限に、と思いつつ行っています。
初夢も、年に一度しかない機会なので気合が入り(?)ます。10年ほど前に、宝船の絵を枕のしたに敷き、「なかきよの とおのねふりのみなめさめ なみのりふねの おとのよきかな」という回文を三度唱えてから寝ると良い初夢が見られると知ってから、毎年そのようにしています。
HSPと聴覚過敏1
今週のお題「初夢」
主治医と診察の際雑談をしていたら、医師が(雑談、と言っても私からみてそう思えるだけで、医師はその中でも私の調子や症状を見ているのだと思う)
「僕はHSPなんて、あんまり信用しないね。何でもカタカナでそれっぽく名前をつければそれらしく聞こえるって言うだけで」と言った。
HSP、HYPwe Sensitivet Person ,
一言で言えば「繊細さん」。
もともとが心理学者が言い出した用語であることもあり、それほど医学界では重視されていないとも言う。
主治医は、「自分がもやもやしたり悩んだりしていて、それに何か名前がつくと安心したりするものなんだよね」とも言っていた。
私はHSPの語をメディアで良く見聞きするようになってからも、あまり気にも留めずーつまり自分と関連づけずにいたが、今回ブログに書くにあたって自己チェックをしてみたら…
10項目該当すればHSP該当の可能性、との事だが、10個どころの話ではなかった。
回答していて「え?普通そうでしょ。そうじゃない人いるの?」と思う設問が多かった。でも、多分10以下の人もたくさんいるんだろうな。
とは言え、自分が「繊細過ぎる」と悩んだことが全くないかと言えばそうではないが、それで非常に困難を感じたり克服したいと思った事はない。
ただ、設問にもあったけれど、聴覚、音については過敏・繊細なのかな、と思うことはたびたびある。
病院での正月ー 産婦人科編3
前回からの続きです。
面積に正確を期したら同じにはならないだろうが、感覚的には学校のがらー-んとした体育館にただ一人寝ている。そんな感じだった。
トイレや洗面所は共用で病室外に出るのだが、廊下もトイレも洗面所も… 人っ子一人いない。自分のスリッパの音が響いて、自分の影が壁にうつるばかり。
ナースステーションに当直の看護師はいるはずであるが、気配も感じる事が出来ない。
何だか世界の中で自分一人が取り残されてしまったような、「孤独」の一言では言い表せなかった。「虚無」という言葉があたっているかもしれない。
ベッドにもどってテレビをつけても、「もうすぐお正月ですよー--」という新年を迎えるテンションが何だか寒々しく、空々しく聞こえる。一緒に盛り上がる気持ちには到底なれない。
消灯時間が来て、「大丈夫ー?もし淋しくなったらナースコールでもなんでもしてね」と運悪く大晦日当直になった看護師が声をかけて、電気を消して去って行く。
いつもなら、部屋の中の人と消灯後も話したり、話さなくても人のいる気配がしたのでなんとなく安心したけれど。ぞっとするほど静かで物音ひとつしない。
今まで一度も考えた事がなかった「病院の怪談」が初めて頭をよぎった。別に具体的にいわくがあったり、言い伝えられている話があるわけではないのだが、どうも余計な、ネガティブな事を考えてしまう。
私はほんの子供の頃を除けば、新年0時は起きて迎えるのが恒例だった。しかしこの時は0時まで起きている気がせず、いつの間にか眠りに入り、しかしぐっすり寝たというのでもなくいつの間か元旦の朝になっていた。
「おはようー。あけましておめでとう?良く寝れた?」当直の看護師さんが朝食を持ってきた。「これ、お正月料理… なのかな?ちょっとねぇ」と苦笑している。
お膳をみるとまさに「正月料理??」としか形容のしようがない品が乗っている。
一つだけお正月らしい事ができた。トイレの窓から、近くにある神社の社殿の後ろ側が見えるのだ。普通は正面からお願いするよね、と思いながら背後からお願いする。
病院の中から、しかも社殿の背後からお参りをしたのも最初で最後だ。
その時のお願いは、妊娠高血圧症候群を乗り切って無事出産できますように。
そのお願いは、有難い事に叶えて頂いた。
私が病院で越年したのはこの産婦人科と前に書いた精神科
との二回になるが、一口に「病院でお正月」と言ってもだいぶ色合いの違うものであった。
病院での正月ー 産婦人科編2
前回
の続き。
大晦日の朝、最後の一人私の隣のベッドの人が退院していった。彼女は切迫早産だったのだが、少し落ち着いた事、自宅で安静にすることを条件に退院の許可がでたのだった。
「安井さん、それじゃね。良いお年を」と彼女が手を振って迎えの夫と一緒に出て行った。あーあ、これでとうとう一人か。
c病院では産婦人科病棟は二階にあった。広さはかなりあって、エレベーターホールを挟んで西棟・東棟に分かれていた。東棟は内科と聞いているが私は行った事がない。
西棟もナースステーション・診察室をはさんで南北に分かれており、出産後の患者は北側の病室。私のようなそれ以外の患者は南側になっていた。東棟と西棟は音や気配も分からないほど離れていたが、同じ棟とはいえ南北もそうであった。
これは病院側の配慮もあるのではと思った。南には、流産や死産、子宮外妊娠の患者も入院する。そういう患者さんに赤ちゃんを抱いた産婦さんと同室というのはあまりに酷である。南側に居る限り、赤ちゃんも産婦さんも見る事はなかった。
で、最後の一人になったあと、10床という広い部屋はいっそう広く見えがらー-んとなった。思って見たら、今まで「一人できり」で新年も迎える事はなかった。誰かしら、家族と一緒だった。この広い部屋で一人気っきりでお正月かぁ。超大型一人部屋、独り占めでお大尽みたいと言えばそう言えないこともないけれど。