親の喪失 ー親の役割3
前回からの続き。
例えば、難易度順にA校>B校>C校があったとして、孫なり子供なりが
その三校に進学したとしたら、扱いもその順になるのだ。A校に進んだ子なり、孫は親戚に自慢し、「どうだ、A校は?」と話題を振り、入学祝をはずむ。難易度が下がるにつれ扱いは悪くなる。
私はそういう父の態度が本当に嫌だった。どんな学校に進もうが血がつながった子、孫ではないか。それが何十人もいたらまぁ望ましくはないが優劣・区別をつける事もあるやもしれない。しかし、子・孫合わせても5本の指に足りるくらいしかいないのに、何故平等に愛そうと、少なくともその努力をしないのだろう。
学校や塾の教師なら成績の良い生徒を優遇したりひいきするのも分からなくもない。
でも、親や祖父母に取って子供・孫はいるだけで大事な存在なのではないだろうか。
父がそんなゆがんだ形でしか子供を見られなかったのは、もしかしたら父自身の体験にあるのかもしれない。父の父ー私の祖父だが、は家庭を徹底的に顧みない人だった。ある意味父以上にそうであった。仕事を転々とし、しかし子供はたくさん作り、女性関係も酷く、祖母はかなり苦労したそうだ。妻も子供も全く労る人ではなかった。
祖母は祖父より一回り以上年下で、しかも昭和の時代に逆らえるわけもなく経済的に自立できるすべもなかったのでただただ忍従するしかなかった。
なので父は全く自分の父親を嫌い、軽蔑していた。母親に対しては、自分の意思がないかのように夫に盲従する姿に同情心を持つくらいであった。
愛された事がないのだから、仕方がない… 結論づけてしまっていいのだろうか…
親の喪失 ー親の役割2
前回からの続き。
加奈の中で自分の意思決定や判断にまで影響を持っていた、とても大きな存在であった母親の喪失は大変な打撃だった。
と共に、年齢的なものー更年期障害が重なり加奈は精神的にも肉体的にもギリギリの状況にあり、一日一日を過すのがやっとなのだと言う。
親を亡くすのは辛い事だと思う。私も父親を亡くしている。しかし、私の場合、加奈とは違って父の喪失の影響は少なかった。医師は双極性障害持ちの私が肉親の死と言う大きなストレスで病状が悪化するのではないか、と懸念したが、全くそういう事はなかった。葬儀や死後の手続きが大変ではあったが、それは飽くまで事務的な側面だった。
私と父の関係、加奈と加奈の母親の関係は決定的に違ったからだと思う。私の父も「昭和のお父さん」だったから、家事や育児は母任せ、出張だ、ゴルフだと家を空ける事が多かった。そしてそもそも子供に「無関心」だった。
「親は子供を『結果』でなく『過程』で評価できる唯一の存在だ」という内容を何かの本で読んだ。例えば受験に失敗しても、頑張って勉強していたのなら、その努力を称賛する。就活も、結婚もそうだ。結果が良くなかったから駄目、というのは他人、第三者がする事。そしてしっかりと過程や努力を見て、認めて貰った事で子供は精神的にバランスが取れるのだ、と。
父は「結果」だけ見る人だった。自分の子供も、孫も、父が評価する学校に合格すれば○。不合格なら✕。子供間でも、孫間でも、出した「成果」で扱いに優劣がついていた。
今週のお題「手づくり」2 楽しくない(?)手作り
今週のお題「手づくり」その2。
前回は作って楽しい、出来て可愛い手作り品について書きました。
しかし、趣味でしなくても、わざわざ習いにいかなくても、多くの人が毎日
「手作り」「手からなにかを生み出す」をしているのではないでしょうか?
それも一つや二つでなく、一日複数回…
はい、それは料理です。
勿論出来合いの物や外食で済ませたり、ウーバーを頼むこともあるけれど食事はやっぱり作る事が多いですね。はい、私が。
夫も時たま作ってくれますが、レパートリーが極度に少ないし、帰宅が遅いのでどうしても私が作るはめになります。
アクセサリーや小物は自分がやりたくて作りに行くのだけれど、料理はともすればのしかかってくる「義務」。本当に嫌々ため息をつきながら作る事もあれば、我ながら酷い手抜きだなぁという仕上がりの事も。
うちにはレシピ本が結構あるけれど、それを読んでいると料理研究家の人でさえ「もうご飯作るの嫌!」(仕事のご飯ではなく、家族の食事)と思うことがあるようなので、
私のような料理作りを生業としないものは言うまでもないです。
はぁー 作るってクリエイティブで喜びを伴う事もあるのに、毎日毎日の義務となるとツライ。
しかし、時々は大乗り気で料理をする事もあります。私が好きなのは、何か裏にストーリーがある料理。キーワードは「再現料理」。例えば文学・漫画作品に出て来た一品。料理店の人気メニュー、看板メニュー。有名人(作家、俳優など)が好きだった料理。
ただの「豚の角煮」をクックパッドを見て作るのは気が乗らなくても、例えば向田邦子の得意料理「豚鍋」、「美味しんぼ」に出て来た「はるさんの牛肉丼」を作ろう、と思うともりもりとやる気が湧いてきます。向田邦子はもうこの世にいないし、はるさんはフィクションの人物。と言うと自分で作るしかない。
たまには大外れもあります。大当たりもありますし、可も不可もなしの事も。味は好みですからね。
本当にやる気が起きない時は、こうやってテンションを上げます。
今週のお題「手づくり」1 楽しい手作り、かわいい子供たち
今週のお題「手づくり」
わーー、嬉しいお題です。私は手作りで物を作るの大好きです。手先が器用とは言えませんが、作る過程も作ったあとも、自分の作品は(多少ブサイクでも)かわいくてかわいくて。良く、ワークショップに行くと講師の先生が素材や出来上がった物を「この子」っていいますがその気持ちすごく分かる!そう、作品は自分の子供なんです。この世界に唯一無二の。
私は根気の乏しいたちなので、例えば何か月も、また年単位で仕上げるような大作には挑めません。キルトや刺繍やレース編み、(私にとっては)気の遠くなる時間をかけた作品は素晴らしいと思いその手間も尊敬しますが、自分にはさくっと一回または二回くらいで出来上がる物がむいてます。
って事で、自分の作品を幾つかアップ(恥ずかしい…)
1これは今年のお正月用飾り。籠、アーティフィシャルフラワー、小物を使いました。
一応先生が作ったサンプルは置いてあるのだけれど、それぞれ好きな花や小物を選んで作る形でした。それぞれのセンスで、全く完成品が違うのも面白い。他の人の作品を見るのはとても楽しいし、勉強になります。
2京都で売ってそうなお土産に見えるけど、二つとも手作り。扇子入れとパスケース。扇子入れは布で、パスケースは和紙(ボール紙で補強)
3アクセサリーも作ります。これはちょうど今の季節向けですね。雪の結晶の形のネックレス。
材料はショップで売っているアクセサリーパーツなので、パールはコットンパールやパールビーズ。本物の宝石なんて使いません。でもお気に入り。かわいいです。
親の喪失 ー親の役割1
鬱仲間(入院や通院仲間)ではない、友人の加奈から連絡が来た。
加奈の母親が癌で亡くなり、それから落ち込みが酷くて立ち直れないのだという。
日常生活もままならないので、精神科に通院している私に病院の紹介など相談して来たのだ。加奈は学生時代の友人だが、元気で明るい子だった。就職し、結婚して子供にも恵まれ順風満帆な生活を送っているように見えた。まさか加奈が鬱に苦しむようになるなんて。
それは加奈自身も当惑していた。自分がこんなに動けなくなるなんて、自分が自分で無くなるようになるなんて思っても見なかった、と電話の向こうの加奈は泣きながら言う。
加奈のお母さんは私も会った事があるが、加奈に面差しが似た優しい人で加奈はとても母親と仲が良かった。癌になって数年闘病していたがついに力尽きてしまったのだ。
加奈は医師から余命も告げられていたし、予期せぬ別れではなかった。しかし最後の最後まで奇跡を信じ、母親と別れが来るとはどうしても信じられなかったのだと言う。
父親だが、いわゆる一昔前の「昭和のサラリーマン」だった彼は仕事に没頭、家事も子供の事も妻任せ。加奈の中では父親の存在はとても薄かった。私と話をしていても
母親の話題は頻繁に出て来たが、父親はあたかも存在しないようであった。
女性だけれど、「マザコン」「母子密着」そんな印象を私は持っていた。
学校の事、友人の事、彼の事… 逐一加奈は母親に相談し報告していた。そうして母親も助言を与えたり、時に指示したり、それを加奈は受け入れていたのだ。
(文中は全て仮名・仮称です)
患者図鑑136 ゲームの魅力3
ソシャゲで課金すればするほどレアアイテムが手に入り、ゲームを有利に進める事が出来る。息子から聞いた話だが、億課金(!)で課金し、無双状態でゲームを進め、それをSNSなどにアップする。勿論そんな状態を投稿すれば見た人は驚嘆(賛美も有れば呆れもあるだろう)し、その反応を見てプレイヤーはますますエスカレートしていくそうだ。
「えっ、課金に億単位??」
「そうだよ。それで有名なプレイヤーもいる。一人や二人じゃないよ。」
そんなにお金を、形のないものに使ってしまって大丈夫なのだろうか。他人事ながら
心配になってしまう。
無敵の武器や、魔法の宝石は「ゲーム上の物」でしかない。手元に本当に剣や石が残る訳ではない。
ボスを倒せば楽しいけれど、それは仮想のボスであり、ボスを倒そうが倒すまいが、現実は何も変わらない。
確かに楽しい。現実逃避も悪くない。カタルシスもある。ゲーム自体を悪者扱いする気持ちはないけれど、多木君のようにそれが生活の中心になり、何を置いてもゲームをするようになるのは問題だと思う。
多木君は食べず、寝ず、学校に行かず、部屋から出ず、洗顔や歯磨き、風呂にも入らなかった。
私が鬱(のち双極性障害2型の鬱状態と判明)の時、医師から入院の一つの目的は生活リズムを立て直す、つまり朝はきちんと起きて身支度を整え、三食規則正しく食べる。夜は寝る準備をしてしっかりと睡眠を取る。それが大事だと強調された。
生活が乱れた状態だと、精神にも悪い影響が及び、逆もまたしかり、である。
とは言え、例えば何かの研究に没頭してなしとげようとしている人は、それこそ研究室に籠りっきり、食事も睡眠も適当という事があるだろう。
そういう人は時には鬱っぽくなったりすることもあるようだが(思うように成果が出ないと余計に)成果が出れば万々歳だし、もし仮にうまく行かなくても、その時の研究がまた別の研究のベースになる事もある。ゲームで✕✕を倒した、○○帝国を滅ぼしたよりはしっかりとした結果が残るのではないだろうか。
お金を億単位で使っても、時間を何百時間と費やしても、結局手元には何も残らない… それを承知した上でゲームをし、自分をコントロール出来ればいいのだが。
(文中は全て仮名・仮称です)
患者図鑑135 ゲームの魅力2
前回からの続き。
多木君は何か月と言う単位で入院していたので、もしかしたら大学は休学していたのかもしれない。印象に残っているのは、学校の友人と思われる若い男性が何人か連れだって良く多木君の見舞いに来ていた事だ。
面会エリアは男女共通の談話室(病室に入るのはNG)なので、他患者の面会の光景は同性であっても異性であっても目にする事が出来る。
メンタルの病気、精神科単科病院というと、少し心理的にハードル、抵抗がある人もいると思うのだが、屈託なく笑っている見舞客を見ていると、多木君はいいお友達に恵まれているのだな、と羨ましく見えた。そしてこういう友人の存在が、病院での治療以外にも多木君の健康回復に大きな役割を果たしてくれるだろうと期待した。
私は多木君より先に退院したので、彼がいつ退院したのか、どんな風に良くなったのかは分からない。退院してから、病棟にお見舞いに行って多木君の話題がたまたま出て、退院したという事だけは分かった。
今後多木君がゲームと上手に付き合い方を学んで、ふとしたきっかけで今回のような沼にはまり込まなければいいのだけれど。ゲーム機は手軽に手に入るし(大学生ならちょっとバイトすればすぐ買える)、新しいソフトも次々出ているから、手に入れる機会は常にある。
私も多木君レベルまで行った事はないが、(やるのはRPGくらいである)やっていてとても楽しくて、気がつくと深夜2時3時までやっていたり、家事が全くおろそかで家の中がぐちゃぐちゃになっていた事があった。
そしてクリアすると、所要時間○時間、というのが画面に出るのだけれどそれを見るといつも複雑な気持ちになっていた。それだけ時間をかけても、「ゲームクリア」という事実の他は何も残らない。
(文中は全て仮名・仮称です)