最初のノックアウト キツイダウン
夫の赴任地はかなりの山峡地であった。車なしでは到底生活できず、日用品を買いそろえるのも病院に行くのも一苦労だった。夫は新しい職場に慣れるのに精いっぱい。
家のほうを整えて、日常生活を軌道に乗せていかなくてはならないところ
孤独や家事が思うにまかせないなどで私はだんだん病んでいった。
夫が車で仕事にいってから、動けない。気力がない。帰宅するまでぼーっとしている。
夕飯はなんとか作るが皿洗いが出来ない。
どんどんひどくなり、トイレで用を足してもレバーを動かすことすら億劫になった。
生理になってもナプキンを替える気力がない。勿論着替え、入浴や歯磨きも出来ない。
使用済みの皿が洗われずたまっていくのが見ていられなくて、別室に運んで隠していた。
赴任は数年は及ぶだろう。こんな状況では耐えられない。新職場で手いっぱいの夫には心配はかけたくない。
私は毎日が苦しくてたまらなく、いつも朝が来るのがつらくて仕方がなかった。
「死にたい」と毎日のように繰り返し思っていた。実際紐を首に巻き付けてみて
ひっぱたりもしていた。薬をドラッグストアで大量に購入してこようか、とも。
本当に苦しかったのに、ぎりぎり踏みとどまっていたのは自分が家に帰って妻が死んでいたら夫がどんなに驚き悲しむだろう。またその知らせを聞いた親はどんなにショックを受けるか。それだけを支えに歯を食いしばって先走った事をするのだけは耐えていた。今から思えば、体調を理由に少し実家に帰して下さいという選択できたはずだ。
しかしその時はそのような事を考える余裕もなく、ともかく毎日死にたい気持ちに耐えるのが精いっぱいだった。