うつ母のサイテー東大育児16 「勉強しなさい」の代わりに1
「勉強しなさい」この言葉を親に一度も言われなかった人も、子供に一度も言わずに来た人もそう多くはないだろう。
私自身も何度親に言われたか。しかし、そう言われて即勉強机に向かう子供がどれだけ
いるだろうか?向かったとしても、怒られない為「勉強するそぶり」するのがせいぜい
だろう。
自分が子供時代を思い返すと、親はしょっちゅうこれを言っていた。
しかし、
勉強する気が全くない時→馬の耳に念仏
勉強する気が少しだけある時→今やろうと思っていたのに!と反発。やる気をなくす
と、功を奏した事は一度たりともなかった。
寧ろ親が「勉強しろ」を言う回数が増えるほどその言葉の重みはどんどん軽くなって行って、やり過ごすようになった。
自分の子供も同じだ。一子も二子も、放っておいても勉強するタイプではなかった。
私は自分の子供の頃の経験から勉強しろと言う事の効果の薄さを体感していたので
極力言わない様にはしていた。しかし例えば定期試験前、保護者面談で勉強の
必要を教師に言われた時、受験前などはふらふら遊んでいる子供を前に禁断の句「勉強しなさい」がつい口を衝いた。
しかし、それで子供が打てば響くように勉強を始める訳もなく、口答えや言い訳をされたり、無視されたりであった。
しかし、どうしても勉強をして欲しい事はあるし、しなくてはいけない局面もある。
どうすればいいのか。
同じ「しなさい」でも、「手を洗いなさい」「歯磨きをしなさい」と子供に伝える時に
「手を洗わないと黴菌が口から入ってお腹が痛くなるよ」「歯を磨かないと
虫歯になって歯が真っ黒になって痛むよ」と説明すると、割合スムーズに手洗い
歯磨きを遂行してくれる。そして段々親が言わずとも習慣化される。
それは手洗いなどをしない事の不利益が子供にも分かりやすく、自分が痛い思いや
辛い思いをするのを避けようとするからだと思う。
一方、「勉強しなさい」は、「しなさい」で命令が終わっていて、何の為に勉強
するのか、するとどのような利益がありしないとどのような不利益があるのか
全く明示されていない。(少なくとも私の子供時代はそうだった)
目的も分からないのに、闇雲に「勉強しろ」と言われてもそれは腰が重くなる。
かと言って「東大に入るため」なんて言われてもあまりにも突拍子がない。
代わりに、もっと効果的のある方法はないだろうか。