患者図鑑11 入って最初の事件
まず荷物を置いてから、心電図や血液検査があった。
この病院は個室もあるが、私は4人部屋に入った。私が入ってこの部屋は満床になった。個々のテレビはなく、備え付けは床頭台のみである。
検査が終わってから昼食。昼食後ベッドでうとうとしていたら、夕食の
時間になった。食事はいわゆる病院食であまりおいしくはない。
入院患者が一堂に会して食事をする訳だが、中には高齢者や持病のある人も
いるから、刻み食や減塩食も出されている。
どこの病院でもそうだと思うが、夕食の時間は早めだ。あとは就寝前の
服薬まで特にする事もないので、皆談話室や食堂でテレビを見たり、雑談をしている。
その日は私は入院で疲れたていたので、部屋で寝ていると食堂からものすごい怒鳴り声が聞こえてきた。
私の部屋は食堂から比較的遠いので、何を言っているかまでは分からない。
しかし尋常でない大声がいつまでも続く。誰かを糾弾しているようだった。
まだ入院患者の名前も顔も把握していない私が出て行く幕でもないし、
大人しく布団をかぶっていた。そのうち、怒鳴り声はやんだ。
その事件の内容を知ったのは、入院してしばらく経ってから。患者たちと打ち解けて
色々話が出来るようになってからの事だ。
食堂の長テーブルで、7、8人で話をしていた。その時患者の一人、関口(仮名)さんが
つけていたバレッタについて、曽我(仮名)さんが「素敵ね。幾らだったの?」と
聞いたそうだ。関口さんが値段を言うと曽我さんは「いい買い物ね」(お値段以上、
というやつだ)と答えたら、関口さんがいきなり激怒し始めたらしい。
「私が貧乏だというのか」「安物を買うというのか」「自分はお金はある」「失礼だ」
椅子から立ち上がって、矢継ぎ早に曽我さんを罵倒しまくったらしい。
一方曽我さんはずっと下を向いて黙っていたという。
それには前振りがあり、関口さんは日頃曽我さんのふるまいに思う所があったようだ。バレッタ事件で日頃積もった思いが爆発してしまったのではないか、との事だった。
しかし、バレッタのたわいない(と私には思われる)やりとりで、あれだけ激高する
ものだろうか。「周りは取りなさなかったの?」といきさつを教えてくれた人に聞くと、関口さんのあまりの迫力に誰も何も言えなかったという。関口さんはそう言えば
背が高く、恰幅が良く迫力のある人だった。
関口さんが言いたい事を言って、その場がやっとおさまり、重いムードの中解散と
なったそうだが、その後も関口さんと曽我さんは何となくぎくしゃくしていた。