特別な夜の風景ー年越し
前2回にわたって書いたのは普段の夜の風景。既に書いたが、病院の消灯時間は9時。そしてそれを皆きっちり守っていたが、唯一の例外が大晦日だった。
消灯は元旦の0時となる。年越しそばなどの夕飯を食べたあと、紅白歌合戦の時間にテレビの前に集まる。もちろん途中で寝てしまう人、部屋にずっといる人も多少はいるが、大体の患者は食堂に来る。そして紅白を見ながらお茶を飲んだり、お菓子をつまんだりしながらよもやま話をする。
「ゆく年くる年」が終わるとお互い「おめでとう」の挨拶を交わす、看護師さんが来て「おめでとうございます。今年も宜しくお願いします」が、新年の挨拶でもあり消灯の合図でもある。
皆そこで歯磨きなど終え、病室に引き取る。
前夜の消灯が遅くても、翌朝(元旦)の起床時間は変わらない。皆ねぼけまなこで
お正月らしさを取り入れた朝食を囲む。
何の変哲もないが、これがB病院の大晦日~元旦だった。
正月という事で一時帰宅を許される人もいる。私もお正月くらいは、と思ったが主治医から許可がおりなかった。
子供が生まれて以来、毎年大晦日、お正月は家族で過ごして来た。自宅であったり、私の両親や義両親宅、旅先であったりしたが顔をそろえる事は決まっていた。
たとえ大掃除やおせちを支度する事が出来なくても、せめて一緒に新年を迎えたかった。病気だから入院する。その為に家族といられないのは、仕方がない事だ。しかし、これも何度も書いたけれど精神科の病気は目に見えない。熱もないのに、手術後でもないのに家族と一緒にお正月を迎えられない。責めは自分自身に向かった。
大晦日。私は家族の情けなくて家族に申し訳なくて、涙がこぼれて仕方がない。主治医は休暇に入っていた。私はナースステーションに行って「あの…」と口にした途端嗚咽で何も言えなくなった。もうすっかり顔見知りになっていた看護師の水木さんが「中に入って」と招き入れてくれた。
私は今まで毎年お正月は家族で迎えて来たのに、今年は私がこんな状態で一緒に迎える事も出来ない。さみしい思い、不自由な思いをさせて申し訳ない
と心の中にたまっている事をみな打ち明けた。
水木さんはずっと黙って聞いてくれ、「病気だから安井さんが悪いわけではないのよ」
「ご家族もきっと分かってくれているわ」「良くなっておうちに早く帰れるようになるのが一番なのだから」といった事を穏やかに答えてくれた。小一時間は話していただろうか。水木さんに優しく受け止めて貰い、ようやく気持ちが落ち着いた。
そうして冒頭の大晦日に繋がる。テレビの前の患者仲間たちは、とりとめのない話を続けるが全く家族の話題は出ない。家族がいないのか、一緒でなくても大丈夫なのか、割り切っているのか、考えても無駄と思っているのか、敢えて避けているのか。他の患者に気を遣っているのか。
ぼんやりと紅白を見ていて、やはり時々「家に居たらなぁ」「今頃家族はどうしてるだろうな」という考えが頭をもたげたが、それでも一人ぼっちでなく、安全な場所でテレビを見る事が出来ているのは恵まれていると考えないと、と思えてきたのだった。
(文中は全て仮名・仮称です)