今週のお題「人生最大のピンチ」その1
患者図鑑はちょっとお休みして、今週のお題「人生最大のピンチ」
私の大学生の時の就活の話である。
大学四年生になり(当時は四年から就活というゆっくりペースだった)
就職活動を始めた。昭和は、女子は現役・自宅からでないとかなり不利という時代。
私は幸いにもその両方の条件がかなっていたので、かなり楽観視していた。
情報集めなどのスタートも早めだったつもり。私の在学していた学校は
就職に特に強い訳ではないけれど、かと言って不利でもない。
まぁ、現役・自宅カードを持っていれば何とかなるだろう。学校の成績もまぁまぁだし。とたかをくくっていたのがまずかった。
高望みもしていて、数打ちゃ当たるとばかりに名の通った企業の試験を受けて行った。
ところが、受ける企業受ける企業一向に内定をもらえない。
ある企業では、「希望者は英語で面接をします。これは加点対象です」と言われ、
英語面接を希望した。うまく話せたつもりだったのだが、ここも見事に撃沈。
周りの友人達はどんどん内定を取っていく。不利とされた浪人・下宿の友人も、某有名企業に内定を貰った。
段々就活が終盤戦に入って来たのが実感として分かる。受けられる企業がどんどん減ってくる。卒業は迫る。就職のため留年なんてありえない。どうしよう、どうしよう。
大学に行くたび、AちゃんはB社に内定だよ、CちゃんはD社に… どんどん内定を貰っていく。B社もD社も有名企業だ。おめでとう、と口では言うけれど内心全く穏やかでない。
私もようやく一つ内定(E社)が取れたけれど、それはせっぱつまって応募した、E社には失礼な話だが滑り止めだった。¥その業界に詳しい訳でも興味が有る訳でもない。
最後に一社、私が興味がありかつ一流企業と呼ばれるところが残っていた。そこは筆記、面接、身体検査と何段階もかけて応募者をふるいにかけていく。手ごたえは全くなかった。寧ろ、今まで手ごたえがあったと自分では思っていた企業に軒並み落ちていた。
もうここがだめならE社に行くしかない… しかしE社で働く自分を私は全く想像
出来なかった。かと言って無職と言う訳にもいかない。
その企業はその時代でも珍しく、何故か「電報」で結果を知らせる事になっていた。
結果が届く日、私は最後の審判を受けるような気持ちで電報を待っていた。
インターフォンが押されて電報が届けられた。「内定」その文字が目に飛び込んで来た
時、まず体中の力が抜けた。嬉しい気持ちがこみあげて来たのは、その後からだった。