患者図鑑34 倉石さんと巨大なリュック
榎さんの貴重品を手離さない話で思い出した。
持ち歩きで言えば、もっと有名人がいた。倉石さんという男性患者だ。
男女で棟が分かれているので、倉石さんを見かける事はあまりになかった。
作業療法室でごくたまに、また屋上でベンチに座ってぼーっとしている姿を
を見かけたくらいだ。倉石さんは初老の男性だが、容貌は良く思い出せない。
登山に使うような巨大なリュックをいつも担いでいたので、荷物ばかりに目が
行ってしまったのだ。小柄な倉石さんは、リュックに隠れてしまいそうだった。
まるでリュックが主で、倉石さんが従。
作業療法で一緒になったのは確か塗り絵の日だったが、リュックをしょったまま色を塗っていた。
ベンチに座っている時ももちろんリュックは背中にある。
男性棟の患者によれば、食事やトイレもいつもリュックが一緒。おろすのは寝る時と入浴の時くらいだとの事。何がその大きなリュックに詰め込まれているのかと言えば、衣類、洗面道具、ティッシュペーパーやタオル。皆が床頭台に置いて来ているような日用品を全て詰め込んでいる。そしてどこに行くにも持ち歩いているのだそうだ。
まだ榎さんの「貴重品だから手元から離したくない」と言う不安は分からないでもない。重い物でもないし。しかし倉石さんが重そうなリュック、誰も盗ったりしないであろう身の回りの物を常に持ち歩いているのは不思議な光景だった。
多分看護師や医師も部屋に置いておいても大丈夫ですよ、と声はかけているのだろう。しかしそれでは倉石さんは納得しないのだろう。何かそれも倉石さんの病気と関連するのだろうけれど、彼の病名は知る由もない。
(文中は全て仮名・仮称です)