患者図鑑81 素顔のままで
熊谷さんの素顔を知る者は誰もいなかった。入院患者は、ノーメイクの人も多く、メイクしていてもせいぜい眉を書いたり口紅を塗る程度。しかし熊谷さんは常にばっちりと
フルメイクをしていた。つけまつげまでしているくらいだ。
薄いメイクをしている人も、夕飯が終わった辺りでメイクを落とし洗顔しすっぴんに
戻るのだが、熊谷さんは徹頭徹尾すっぴんを見せない。
朝のメイクはカーテンの中でする様で、皆の前に姿を見せる時はすでにメイク済み。
さすがに夜は共用の洗面所でメイクを落とすのだが、誰もいない時を見計らって洗顔をし、脱兎のごとく病室に戻る。
熊谷さんは一年くらい入院しているとの事だが、彼女の前から入院している人も一度も素顔を見た事がないという。
念入りにメイクを施した彼女は綺麗なのだが、いったいそれほどまで見せたくない素顔はどんななのだろう。それほどメイクの顔とギャップがあるのか。そこまでしてすっぴんを隠す理由があるのだろうか。しかも相手は恋人でも夫でもなく、しょせん同性の入院仲間だと言うのに。
おかしかったのが、そこまで化粧にこだわる割には爪には無頓着だった事だ。それくらい美容にこだわるのなら、しっかりマニキュア、ことによればペディキュアをしていてもおかしくない。しかし、何も塗っていないばかりか、爪を噛むくせがあるのだろうか、ボロボロだった。
服にシミがついていたり、皺がよっていたり、また髪がぼさぼさに乱れている事もあった。フルメイクは美意識の高さから、とは一概に言えそうにない。
何故素顔を隠すことにそれだけこだわりを持つのかは、メイクの下に隠れたままだった。
(文中は全て仮名・仮称です)