そううつ色々図鑑ーメンヘラ歴1/4世紀ー

双極性障害持ちゆえに出会った色々な人たち、出来事について。精神科入院生活の有様。サイテーな家事・育児についても。

今週のお題「人生変わった瞬間」2

分かれ道


前回からの続き。

utuutuyasuyasu.hatenablog.com

 

旅行から帰って来てから近江の事を調べたが、詳しい事は一向に分からない。出生地、10代で京都に出て来た事、20そこそこで没した事。肖像画すらないのである。出生年も定かでないので、年齢も大体しか分からない。

しかし、僅かに知られるのは早くに親を亡くし不遇な子供時代、京都に来てからも師匠や先輩との関係に悩み、病気もして苦しんだ事。しかし才能を嘱望され、これからという時にあっという間に亡くなってしまった事。墓所すら不明である。

確かなものとして残されたのは幾つかの作品だけである。その一つを私が観た訳である。

彼の生涯を知り、花の可憐な美しさを詠んだ漢詩を年齢に似合わない、円熟した流れるような筆致で一気に書き上げた作品の裏で彼が心身ともに深い苦しみを抱えていた事が分かると、何ともとやるせない気持ちになった。この作品を書いて一年もせず自分の命が尽きると近江は分かっていたのだろうか。花が如何に美しく咲いていても、いずれは散る。その花の命と自分とを重ねていたのだろうか。

その時私は高校3年生だった。志望校を決める時期で、就職に有利かもしれないとか、教科が嫌いではないと言う理由で英文科に行こうと思っていた。しかし、近江の作品を見てからというもの、彼の事をもっと知りたい、調べたいという気持ちが強まる一方で、国文科を目指すことになった。

それで私の大学生活は国文科で始まったのだ。もし、あの時博物館で近江の作品に逢っていなかったら、国文科を目指すことはなく、友人、教官、キャンパスライフは違うものになっていただろう。

もし英文科に行っていたとしたら、多くの英文科の友人がそうであったように英語を生かした就職をしていたかもしれない。国文科にいても英語を自分で勉強する事も出来るのだから、これは言い訳に過ぎないのであるが、就職先は英語と無縁の所であった。