離島留学報道で思い出した事2
前回の続き
もう留学サイトにアクセスしたら、要綱も読まず申し込みしてしまいそうな勢いであったが、それを止めたのが夫だった。夫は私の病気も、育児が十分出来ていない事も把握していたが、だからと言って子供を外に出す事には強硬に反対した。
しんどいのなら、無理してお金を工面してでもお手伝いを雇えばいい。絶対に子供たちを手放したくない。
夫は性格的には温厚、穏やかなのだがこの件に関しては一歩も譲らなかった。病気の私に無理に育児をしろ、というのではない。また自分も協力は出来るだけするけれども限界はある。ならば、助けの手をお金を出して借りればいい。どこか他所にやる事は出来ない、と強く主張した。
結果、いわゆるお手伝いさんや家政婦を雇うのは経済的に厳しい(一時的な利用ではすみそうになかった)ので、ブログのカテゴリー「ヘルパー図鑑」に書いてきたけれど、有償家事援助サービスを利用する事になった。記事に書いてきたが有償家事援助サービスで何とかしのげたものの、山あり谷ありであった。
文字通り「自分が死なない」「子供を殺さない、死なせない」が目標の最低育児だった。
でも例えば私がシングルであったら、夫が子供を離島留学等に出すことに賛成していたらうちもその制度を利用していたかもしれない。さまざまな土地で色々な制度があり、自治体によっても詳細は違うようだが、細かく精査する余裕もなく、それこそ検索してトップに出て来たところ、最初に返事を貰ったところに送っていたかもしれない。