そううつ色々図鑑ーメンヘラ歴1/4世紀ー

双極性障害持ちゆえに出会った色々な人たち、出来事について。精神科入院生活の有様。サイテーな家事・育児についても。

患者図鑑12 おしゃれな田村さん

入院生活とは言え、生活にメリハリをつける為、医師からは朝起きたら

着替えて、寝る前に寝巻を着るように言われた。

これは以前A病院に居た時も同様だった。

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他の入院患者も、同じように生活リズムを整える着替えの指示を受けていたようだ。

若干名、日夜問わず寝巻で過ごしていた人もいたが。

着替えると言っても、殆どは病棟内で過ごすのだし、時々横になったりもする。

洗濯もしなくてはならない(病棟内に共用の洗濯機や干場があった)。

私を含め、皆動きやすく洗濯しやすいルームウェアやジャージのような物を

来ていた。ちなみに、履物はスリッパだ。

そのゆるゆる普段着の入院患者の中で、一人異彩を放つ服装の人がいた。

田村(仮名)さんだ。田村さんは50~60代に見えた。ロングヘア―の巻髪、

毎日の念入りのメイクもさることながら、目立っていたのはファッションだ。

前述したように、Tシャツにジャージのズボンと言った格好の人が多い中、

田村さんはシルクのブラウスにスカーフ、フレアースカートと言ったブランド物を日替わりで身にまとっていた。どこかにお出かけするのでおめかししているのかしら、

と言う様な格好を毎日していだのだ。

毎日の服装に、いちいち彼女自身の説明がついていて「これは××(高級ブランド名)外国で買ったの。これは○○(やはりブランド名)で△△円もしたけど、お気に入りなの」

それが毎日だ。田村さんのクローゼットは無限で、次から次へ新しい高級ブランドの服が出てくる。

さっき、履物がスリッパだと書いたが、殆どの患者がいわゆる「スリッパ」を履く中で

田村さんはピンヒールのサンダルを履いてカツカツと音を立てて闊歩していた。

田村さんの信奉者もいた、あのブランドの服は凄く高いし、ショップも

少ないのよとひどく感服していた。

アンチもいて、こんな(笑)病院であんなにめかし込んでどうするのかしら。

TPOって物を知らないんじゃない?と嘲っていた。

おしゃれ

 

 

一年中うつカレンダー

季節性うつ

私は冬季にうつが悪くなる事が多い。いわゆる「冬季うつ」だ。

今、猛暑が続いているが「夏季うつ」ってあるのかな、と

思って検索したらあるようだ。

また四月は新生活でうつになるだとか、五月病と言う言葉もある。

そうしたら年中うつになる要因があるのでは?

 

「日本全国酒飲み音頭」という歌があり、一年中、何かにつけて酒を飲むという内容だ。

歌詞の一部を書くと

 

酒が飲める酒が飲める酒が飲めるぞ 酒が飲める飲めるぞ酒が飲めるぞ

一月は正月で酒が飲めるぞ 酒が飲める飲めるぞ酒が飲めるぞ

二月は豆まきで酒が飲めるぞ 酒が飲める飲めるぞ酒が飲めるぞ

三月はひなまつりで…

 

こういった具合で12月まで続く。

何かにかこつけてお酒を飲む高揚に対して、何かしらの理由でうつになるのとでは

天国と地獄の差があるが、一年何かしらの理由でうつになる状況を考えてみた。

自分の体験をもとにしている。

 

一月は正月 世間はめでたく祝っているのに、わが身の落差にうつになる

二月 バレンタイン 縁がないのでうつになる

三月 ホワイトデー 同じく縁がないのでうつになる

四月 新生活になじめずうつになる

五月 五月病でうつになる

六月 梅雨で気分が晴れずうつになる

七月 暑くてうつになる

八月 夏休みなのに何の予定もなくうつになる

九月 夏に体力を消耗しきってうつになる

十月 行楽シーズンなのに何も予定がなくうつになる

十一月 もう今年も終わりなのに、また何も出来なかったとうつになる

十二月 クリスマス何にも予定がありませんでうつになる

 

ハッピーな月がないネガティブカレンダー(苦笑)

これと真逆の一年を過ごしたいものだ。

患者図鑑11 入って最初の事件

入院

まず荷物を置いてから、心電図や血液検査があった。

この病院は個室もあるが、私は4人部屋に入った。私が入ってこの部屋は満床になった。個々のテレビはなく、備え付けは床頭台のみである。

検査が終わってから昼食。昼食後ベッドでうとうとしていたら、夕食の

時間になった。食事はいわゆる病院食であまりおいしくはない。

入院患者が一堂に会して食事をする訳だが、中には高齢者や持病のある人も

いるから、刻み食や減塩食も出されている。

どこの病院でもそうだと思うが、夕食の時間は早めだ。あとは就寝前の

服薬まで特にする事もないので、皆談話室や食堂でテレビを見たり、雑談をしている。

その日は私は入院で疲れたていたので、部屋で寝ていると食堂からものすごい怒鳴り声が聞こえてきた。

私の部屋は食堂から比較的遠いので、何を言っているかまでは分からない。

しかし尋常でない大声がいつまでも続く。誰かを糾弾しているようだった。

まだ入院患者の名前も顔も把握していない私が出て行く幕でもないし、

大人しく布団をかぶっていた。そのうち、怒鳴り声はやんだ。

その事件の内容を知ったのは、入院してしばらく経ってから。患者たちと打ち解けて

色々話が出来るようになってからの事だ。

食堂の長テーブルで、7、8人で話をしていた。その時患者の一人、関口(仮名)さんが

つけていたバレッタについて、曽我(仮名)さんが「素敵ね。幾らだったの?」と

聞いたそうだ。関口さんが値段を言うと曽我さんは「いい買い物ね」(お値段以上、

というやつだ)と答えたら、関口さんがいきなり激怒し始めたらしい。

「私が貧乏だというのか」「安物を買うというのか」「自分はお金はある」「失礼だ」

椅子から立ち上がって、矢継ぎ早に曽我さんを罵倒しまくったらしい。

一方曽我さんはずっと下を向いて黙っていたという。

それには前振りがあり、関口さんは日頃曽我さんのふるまいに思う所があったようだ。バレッタ事件で日頃積もった思いが爆発してしまったのではないか、との事だった。

しかし、バレッタのたわいない(と私には思われる)やりとりで、あれだけ激高する

ものだろうか。「周りは取りなさなかったの?」といきさつを教えてくれた人に聞くと、関口さんのあまりの迫力に誰も何も言えなかったという。関口さんはそう言えば

背が高く、恰幅が良く迫力のある人だった。

関口さんが言いたい事を言って、その場がやっとおさまり、重いムードの中解散と

なったそうだが、その後も関口さんと曽我さんは何となくぎくしゃくしていた。

 

こんにちは、入院生活

病院

B病院に入院すべく、荷物を持って来院すると防火戸のような大きな扉が開かれた。

この扉の向こうが病棟だ。

東西に横長に病棟があり、東は女性。西は男性。両方を結ぶ場所に

テレビや談話室があり、そこは男女両方利用が出来る。

二、三階とニフロアある。

入居に当たって、入院生活の説明が看護師からなされた。

食事は食堂(男女に分かれている)に来て取る事。

洗濯は洗濯機があるので各自出来る事(勿論家族に持ち帰って貰ってもいい)

お風呂は、共用だが看護師が予定を入れるのでそれに従う事。

体調が悪い時はパスして良い。

違うフロアに行く事は余り推奨されておらず、また自分以外の病室に行く事

(話をしに行く等)は禁止されていた。話は食堂や(これも男女で分かれている)

や談話室でするように言われた。

起床、消灯の時間。

私は精神科の他は、出産で入院した経験くらいしかないが、精神科だから

という厳しさは感じない。例の病院を渡り歩いた須賀さんによると、持ち物を

全部拡げさせられて、中身をチェックされた所もあったそうだから。

五藤医師からの注意事項は、一日中寝巻でなく必ず日中は着替える事。そうやって

生活にメリハリをつける事だった。

あとは「作業療法室」があるが、ここは少し入院生活になじんでから利用しましょう

とのお達しだった。

内科の隅で小さくなっていたA病院と違って、この病院は全員精神科の患者で

医師は全員精神科医なのだ。そう思うと少し身がすくむ気がしたが、ここまで来たら

入院して一日も早く良くなるしかない。不安と、覚悟がないまぜになっていた。

精神科単科病院への入院2

入院

B病院の入院日が決まり、病院生活で必要な物を用意した。精神科の入院は

自殺を防ぐ為、持ち込めるものに制限がある事も多い。

私がB病院入院中に会った須賀(仮名)さんは病歴も長く、色々な病院を

渡り歩いてきた猛者(?)だが、ある病院では持ち込めるのは二つだけ。

眼鏡と入れ歯。これは代替が効かないので持ち込み化。あとは全て、着る物から

洗面用具から病院から貸し出しだったそうだ。

B病院は、刃物類と長い紐様のもの(電気のコード含む)は禁止であったが、

他は自由だった。他科の入院で用意するものと大して変わりはない。

言い忘れたがB病院は全て解放病棟である。須賀さんから、閉鎖病棟の様子も

聞いたが(いちいち許可を得て鍵を開けて貰う等)、それに比べるとかなり

自由な環境だったと思う。

刃物類も、心配がないと思われる人には小さなはさみ程度の物の所持は許可されていた。ドライヤーは貸し出し制だったが、使用中に見張る訳でもないので、コードを

使って事を成そうとすれば出来ないことはない。

逆に言えば、閉鎖病棟が適当であるような患者は受け入れず、他の病院を紹介する

のであろう。

以上のような事が分かったのは、入院して入院患者たちから色々見聞きしてからの

事で、入院前は不安な暗い気持ちでいっぱいだった。

B病院に長く通院していたものの、外来エリアと入院エリアは全く隔絶された空間で、

同じ病院とは言え未知の世界だったからだ。入院が決まってからも事前に入院エリア

を見学する事は出来なかった。

 

 

精神科単科病院への入院1

辛い・苦しい

最近の投稿は育児や受験に偏ってしまっていたが、元々これは私のそううつを

通しての色々の経験を書くために始めたブログ。

ここで私の病気の話に戻ろう。

前回まで子育て、受験について書いてきたがその間私は本当に青息吐息の状態だった。

辛さや絶望のあまり、何度死のうと思ったか分からない。

それでも一回目の入院をしてからは

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何とか通院治療でしのいできたが、とうとう通院のみでは乗り切れない時がやってきた。

その時は、主治医の五藤医師の異動に伴い、最初に入院したA病院(総合病院)

からB病院(精神科単科病院)へ転院していた。カウンセラーは静岡先生だ。

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手抜きのサイテー家事、サイテー育児であったが、それでも無理をして私が

、やらなくてはいけない局面は度々あったし、やらないならやらないで罪悪感に

苛まれた。

そのうち、前経験した事のある最悪の状態ー 一週間後の自分がどうなっているか

分からない。一週間を乗り切れるか分からない状態になった。

そのような窮地にあっても、私は入院に抵抗があった。これも既に書いた事であるが、

私自身が「精神を病む」事に対しての後ろめたさや偏見に囚われていた。

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総合病院で、他科に紛れて入院するのと違い、精神科単科病院に入院するのは

抵抗があった。

五藤医師や静岡カウンセラーから見ると、私は入院させたほうが良い状態まで

来ていたようで、二人から入院を勧められた。

静岡先生は冗談めかして「三食昼寝つきだよ?そんなに構えないで、ちょっと旅行気分、リゾート地に行く気分で入院してみたら?」と私の気持ちをほぐそうとしてくれた。

家の事もあるし、となかなか決心がつかなかったが、もうとうとう限界だ、と自分で

悟る段階になってしまった。

診察の際に「入院します」と私は五藤医師に告げた。

うつ母のサイテー東大育児23 総括

東大合格

うつ母の下で育った二子(敏記・茂洋)の受験は、敏記は慶応大学合格、茂洋は東京大学合格で終わった。

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前項で

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「東大合格の為の家庭の十箇条」について、また安井家ではその半分も出来ていなかった経験を書いた。

育」を越えなくてはいけないハードルとする「サイテー育児」。

勿論、いい大学を出た=いい人生が待っている訳ではなく、これから敏記も茂洋も

色々な壁にぶち当たったり、挫折を経験していくことだろう。

しかしまぁ「警察のお世話」にも「不登校」にもならず、

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二人とも大学合格

の際は小さい声で「ありがとうね」と言ってくれたので、「サイテー育児」

の割にはそれなりの結果を出したのではないかと思っている。

 

ここで「うつ母のサイテー育児」は(また思い出したら書くが)ここで一旦総括しておく。

私は子供が赤ちゃんの頃から、ずっと今にいたるまでうつ(後双極性障害2型と診断)に悩まされてきた。いわば、子供たちも母親のうつと一緒に育ってきたようなものだ。

うつで落ち込む。体が重くて動かない。当然家事や育児は十分に手が回らない。

家事については、ヘルパー(カテゴリー ヘルパー図鑑 参照)冷凍商品や出来合いの物

utuutuyasuyasu.hatenablog.com

で凌いできた。育児や教育については他にゆだねる(学校・塾・親戚・知人・友人、子供自身の友人や先輩、自治体その他)もしくは子供自身で調べる(パソコンの利用など)ようにした。

子供が小さい時に何よりも大事にしたのは、親からの愛情を伝える事。その後で

子供の好奇心が出てきたら、その芽を伸ばすように、好奇心を満たすこと、知識を

得る事の喜びを教えるようにした。

子供の頃にある程度 親の愛情=気持ちの安定・安心 、そして物を知る事は楽しい事だ という基本土壌を作っておけば、あとは本人やしかるべき他者(前述したように学校や友人など)に任せてしまった。土地がしっかりしていて、種をまけばあとは自然に

芽が出て伸びてくれるものだと思う。

 

私の育児は子供に対しても、人に対しても誇れるものでは全くない。

しかし、「自分が死なない、子供も殺さない」という最低目標は達成し、

子供は無事成長して進学もした。こんなサイテー育児でもなんとかなった

、と何かのヒントや安心に繋がってくれればこんなに嬉しい事はない。