そううつ色々図鑑ーメンヘラ歴1/4世紀ー

双極性障害持ちゆえに出会った色々な人たち、出来事について。精神科入院生活の有様。サイテーな家事・育児についても。

患者図鑑118 りんごは誰が切った

りんご

 

utuutuyasuyasu.hatenablog.com で、入院中に起こったミステリアスな事件について書きかけていたら自分自身にミステリアスな出来事が起こってしまった。

つやつやなリンゴが送られてきた。食べるのを楽しみにして就寝した。翌朝、目が覚めて台所に行くと、まな板の上にリンゴが8つのくし切りになって置いてあった。包丁もそのままだ。置きっぱなしになっていたので、リンゴは茶色に変色していた。

「ちょっと、誰がこんなやりっぱなし、置きっぱなしにしたの!」と憤慨してふと思い出した。昨晩、家族は出かけていて家にいるのは私しかいない。リンゴを切るのは私意外にいないのだ。

似たような事は以前にもあった。前に記事を書いた気がするのだが、見つからないので

もう一度書くと、テレビを見て「丁稚羊羹」というお菓子に興味を持って取り寄せたところ、翌朝包装紙のみがゴミ箱に入っていて、中身がなかった。

私はてっきり息子や夫が食べたのだと思い責めると、本当に知らないと言う。それどころか羊羹が届いていた事すら気づかなかったと。

その後、通院の際に医師に聞くと、睡眠時随伴症だろうと言われた。睡眠中におこる異常な行動や体験で、私は睡眠状態のまま羊羹の包装紙をはがし、食し、ゴミをゴミ箱に捨てて寝床に戻ったのだ。どんなに頑張っても、羊羹を食べた事は全く思い出せなかった。羊羹を食べた夢すら見た記憶がない。

「それってねぇ、時々あるんだよ」と私の動揺をよそにのんきそうに主治医はいう。「歩き回ったり、人に話しかけたりね」

「私、全然覚えてないんですが」

「そういうものだよ」

「例えば、私が睡眠状態で羊羹を食べている時家族が私に話しかけたとします。その場合、きちんと会話は成り立つんですか?支離滅裂な事を言ったりしないんですか?」

「ちゃんと会話は成り立つよ」

今週のお題「人生変わった瞬間」3

愛

今週のお題「人生変わった瞬間」ー今のわたしを作ったアレ

 

近江の生涯や書の歴史における近江の立ち位置など研究しようと意気込んで国文科に入ったものの、ついぞそれは果たされる事がなかった。自分の能力不足の一言につきる。国文科の授業の一部に全く興味が持てなかった事もあるし、また言い訳をさせて貰えば在学中に5月病ならぬ6月病になったりして、

utuutuyasuyasu.hatenablog.com 

出足で調子を崩し出遅れた事もある。

 

とは言え、その後も近江との縁が切れる事はなかった。ここまで読んで下さった方にはお分かりだと思うが、私は近江を好きになってしまっていた。恋をしてしまっていたのである。

なので、それ以降も近江の作品が展示されていると聞けば遠方かまわず観に行った。近江の名前だけちらっと出てくる古書や専門書を買い集めた。近江の出身地ー と言っても所縁のものは何も残っていないのであるがー や、京都で彼の師匠が住んでいた場所を訪ねた。

ともかく分かっている事が少ない人なので、どんなに突き詰めて行っても結局は曖昧模糊としか結果を得られない。もどかしい思いをしながらも、やはり私は近江から離れられず今に至っている。

その道の第一人者になったりそれで生計を立てて行くようになった訳ではない。何にも結果を出してはいないが、私が近江にほれ込んで、そして今でもほれ込み続けているのだけは確かだ。近江は私が生まれる何百年前に亡くなって、血縁でもなんでもないどころか顔も分からない。そんな人なのに、私の人生は彼の影響でちょっと方向転換をしてしまった。

しかし近江を好きになった事で得られたものもある。出身地、a県b市にたびたび足を運んだせいか、そちらに親しい知人が出来た。私はブログに書いているように双極性障害(そううつ病)もちなのだが、入院中に近江の書(もちろんコピー)を枕元に貼っておくと何故か安心できた。

あるスポーツ選手のファンが、「自分が辛い時、苦しい時○○選手ならどうするかな?」と想像して自分の難局を乗り越える と言っていた。私も同じで、今の私よりずっと苦しくて辛かったはずの近江が、どうやってその苦悩のなかであの美しい作品を完成させていったか。そう思って、何度も自分を鼓舞して来た。

 

遠い時代に生まれた、顔も知らない近江道成。あなたのお蔭で人生変わりました。

今週のお題「人生変わった瞬間」2

分かれ道


前回からの続き。

utuutuyasuyasu.hatenablog.com

 

旅行から帰って来てから近江の事を調べたが、詳しい事は一向に分からない。出生地、10代で京都に出て来た事、20そこそこで没した事。肖像画すらないのである。出生年も定かでないので、年齢も大体しか分からない。

しかし、僅かに知られるのは早くに親を亡くし不遇な子供時代、京都に来てからも師匠や先輩との関係に悩み、病気もして苦しんだ事。しかし才能を嘱望され、これからという時にあっという間に亡くなってしまった事。墓所すら不明である。

確かなものとして残されたのは幾つかの作品だけである。その一つを私が観た訳である。

彼の生涯を知り、花の可憐な美しさを詠んだ漢詩を年齢に似合わない、円熟した流れるような筆致で一気に書き上げた作品の裏で彼が心身ともに深い苦しみを抱えていた事が分かると、何ともとやるせない気持ちになった。この作品を書いて一年もせず自分の命が尽きると近江は分かっていたのだろうか。花が如何に美しく咲いていても、いずれは散る。その花の命と自分とを重ねていたのだろうか。

その時私は高校3年生だった。志望校を決める時期で、就職に有利かもしれないとか、教科が嫌いではないと言う理由で英文科に行こうと思っていた。しかし、近江の作品を見てからというもの、彼の事をもっと知りたい、調べたいという気持ちが強まる一方で、国文科を目指すことになった。

それで私の大学生活は国文科で始まったのだ。もし、あの時博物館で近江の作品に逢っていなかったら、国文科を目指すことはなく、友人、教官、キャンパスライフは違うものになっていただろう。

もし英文科に行っていたとしたら、多くの英文科の友人がそうであったように英語を生かした就職をしていたかもしれない。国文科にいても英語を自分で勉強する事も出来るのだから、これは言い訳に過ぎないのであるが、就職先は英語と無縁の所であった。

今週のお題「人生変わった瞬間」1

書

今週のお題「人生変わった瞬間」ー今のわたしを作ったアレ

 

10代の終わりに、博物館で「アレ」を見てから私の人生は変わった。もし自分の年表を書くとしたら「アレ」を見てからの私、「アレ」を知る前の私 で分類したいくらい、画期的な出来事だった。

 

旅行先の博物館で、ある展示が目に留まった。ある人物、仮に近江道成とするーよる書の小品だった。もっと著名な人物の大作もたくさんあったのに、特に書に詳しい訳でもない私が何故それほどその作品に惹かれたのか今でも分からない。そもそもその博物館自体空き時間にふとふと訪れたにすぎなかった。

展示物を順に見て行って、ひっそりと置かれた小さな作品が近江によるものだった。ある漢詩を書いたものなのだが、その筆遣い、色合い、詩の内容、近江道成の短い略歴に足に根が生えたようにそこから動く事が出来なかった。

文化財指定をされている訳でもく、知名度がある訳でもない近江。しかし20で書かれた作品は、何故か私の心を捉えて離さなかった。解説によると彼はその後一年もせずに没している。

漢詩の内容は花をめでたもので、詩の内容の華やかさに比してどこか影のある、美しいが儚げな、流麗な筆致であった。20という年齢で書いたとは思えない円熟ぶりだたt。

 

旅行を終えてから、どうも近江が気になった。旅行中色々な名所を訪ね、展示物も見たのに帰って来てから気になったのは近江のことばかりであった。

 

患者図鑑117 ミステリと言う勿れー黒魔術?-

魔術

B病院の解き明かされてない謎はまだある。

 

角野さんという入院患者がいた。入院患者は病状や個性もあって、超インドア(食事の時以外はベッドから出ない)から超アウトドアまで色々だった。超アウトドアは、この人入院している意味があるのだろうか、病院には寝に帰っているだけではないかと思わされるくらい外出していた。

インドアも、ベッドの中や病棟内から出ない人たちは純粋ににインドアだが、角野さんはインドア派の中では最も活発で、アウトドア派に近い部類だった。B病院は複数階あり、建物はそこそこ大きい。それに庭がついているから総面積で言えばそれなりの大きさがある。角野さんは、病院のここそこを所狭しとぴゅんぴゅん飛び歩いていた。多分一日のうちに病院を何巡りもしていたと思う。

けれど、病院の敷地からは一歩も踏み出せないのだという。怖い。足がすくむ。行きたくない。病院内を上から下へ、病院の庭も端から端へ駆け巡る角野さんが。不思議なものだ。

そのB病院の敷地内を隅々まで知り尽くす角野さんが、ある時「何か気味悪い」と言って来た。病院の裏庭、目立たず人気もない一角があるのだが、そこが不気味なのだという。人を見かけた事はないが、誰かがいた跡がある。何かを燃やした後。液体をまいた跡。石が積んである。お香のような変な匂いがする。

角野さんの話を聞いていた人が「誰かたばこでも吸っていたんじゃないの」と言った。

病院には喫煙室があるが、狭くていつも人でぎゅうぎゅうだ。目のないところでゆうゆうと吸ったようがゆったりと吸えるだろう。

(文中は全て仮名・仮称です)

患者図鑑116 お腹の中に

お腹



 

B病院(精神科単科病院)に入院中に解き明かされなかった謎は幾つかあるが

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今回の岡田さんの話もその一つ。

岡田さんは20代後半に見える女性。あまり話を自分からする方ではないので、家族構成や彼女の患っている病気については分からない。

ごく普通に入院生活を送り、特に目立つ事もない。ただ一点を除いては。

 

私が初めて岡田さんを見た時、「お腹に赤ちゃんがいるのかな?」と思った。決して太っている訳ではないのに、お腹だけぽっこり出ていたからだ。しかし、向精神薬は退治に良くないし、妊娠は大丈夫なのだろうか。急に産気づいても、ここは産婦人科医もいないし… と勝手に気を回していた。ところが一週間ほど経った頃だろうか、食堂に現れた彼女はお腹がぺったんこになっていた。まさか出産した訳では… 昨日まではちきれんばかりのお腹でいたのに。

しかし、いつもと変わらぬ姿ですたすた歩き、どこにも赤ちゃんの気配もお産の気配もない。他の入院患者に聞いてみようか、と逡巡しているうちに、またぽっこりお腹で岡田さんが現れたのだ。その後も、お腹が出ている状態と、普通に平らな状態とが繰り返された。ようやく、平らなお腹が彼女の本来の体型で、何かをお腹の部分に出し入れしているので、お腹の形が変化するのだと。

しかし、バストを盛るという事はあっても、お腹を盛る事はあるだろうか?ダイエットや脂肪吸引でお腹の脂肪を落とすを聞くくらいだから、極力お腹に肉はつけたくないのが女性心理ではないだろか。

岡田さんと同室の人も、岡田さんはカーテンの中で着替えやお腹の仕込みをするので、何をどのように入れているのか皆目見当がつかないと言う。見当がつかないのは、お腹の入れ物だけでなく彼女の動機だ。

前述したように彼女はあまり自分の事は話さないだったので、真相は湧かずじまいだった。ただ看護師は何もとがめ立てもしていなかったので、医師や看護師の間では岡田さんのお腹の件はきちんと共有されていたのだろ思う。

 

患者図鑑115 お母さん3 ー心理的安全性続きー

親子

前回からの続き。

子供は何も出来ない状態から始まって、色々自分なりに挑戦したり体験する事で

世界を拡げ学んでいく。それには背景に母親との関係性からなる「心理的安全性」

があるからだそうだ。

お母さんべったりの時期を経て、段々一人であちこち歩き、あれこれ触ったり見たりする。それはお母さんがちゃんと後ろで自分を見ていてくれるという安心感があってこそ。それが初めての心理的安全性で、極めて子供の成長の上で貴重なのは言うまでもない。冒険しても、失敗しても大丈夫な環境。

やはり母親(もしくは母親的役割を果たす人間)の存在はとても重要なのだと改めて思わされた。

B病院に入院している患者の中には、前書いたように母親への強い憎悪に満ちた人もいた。

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しかし、上記の検見川さんが母親を激しく憎んでいたのはそれだけ母親に期待していたからではないだろうか。どうでもいい人間が、自分に対して冷たい態度を取ろうが大してこたえない。自分も母親を愛していて、母親からも愛されたかったのにそれが果たされなかったので失望も大きく、恨みに変わって行ったのではないだろうか。

 

石塚さんは、「お母さん」とつぶやけるだけ、検見川さんとは違って母親とは良い関係が築けていたのだろう。彼女の年齢を考えるとお母さんを連発するのが少し奇異に思えたが。

しかし、段々と話を聞いて行くと、石塚さんの「お母さん」は存命ではあるが、もうかつてのお母さんではないのだった。認知症を発症して施設に入って、もう石塚さんの顔も分からないのだと言う。だから石塚さんの見舞いにも来れないし、手紙のやり取りや電話も出来ない。

石塚さんがつぶやく「お母さん」はもう過去の物なのだ。でもそれでも大切な思い出で、現在の石塚さんの拠り所であるには違いがないようだった。

(文中は全て仮名・仮称です)