そううつ色々図鑑ーメンヘラ歴1/4世紀ー

双極性障害持ちゆえに出会った色々な人たち、出来事について。精神科入院生活の有様。サイテーな家事・育児についても。

今週のお題「わたし○○部でした」8 バラ色の青春

 

バラ色の青春


今週のお題「わたし○○部でした」

思っていたより長くなっちゃいました。ラストです。

 

高校受験勉強中は、テニス部に入って部活・勉強 頑張るぞ!それでこそ青春、と思い描いていたのがちょっと違う形になってしまったのは既に書いた。

utuutuyasuyasu.hatenablog.com

今回は私からしたら理想的な、部活に打ち込んだ高校生活を送った人の話。

内田君は、大学卒業後に入社した会社の同期。同期同士は仲良しで、良く集まって飲み会をした。

聞けば内田君は中学~大学までずっとバレー部だったそうだ。

「内田君、背高いもんね。10年続けるなんて凄いね。活躍して、モテたでしょ(笑)」

というと

「いや、全然モテないよ。俺男子校だったし、大学入っても男子バレーは女子と練習も何も全然別だもん。ずっと男の汗臭い世界」

「でも、一つの競技に打ち込むっってかっこいいじゃん」

「うーん…」

内田君は言いよどんだ。聞けば、内田君は中高一貫校なので、バレー部の顧問は同じ人なのだが、スパルタ指導で有名な教師だったそうだ。それも不思議な事に普段の授業(英語の教師だった)では穏かなのに、ことバレーとなると人格が豹変するらしい。

「俺たちの間ではさ、美濃先生(顧問)はバレーの顧問が主で英語の授業は従と言われてた。テキトーに英語やって、放課後が勝負、みたいな」

「楽しいとかそういうのじゃなくて、とにかく美濃先生のもとで6年しごかれたって印象しかないな」

6年耐えた内田君は、バラ色の大学生活を夢見た。

「テニスとかスキーとか、新しいスポーツを楽しく女子とやってさ…」

ところが、大学に合格してこれからサークル(もう本格的部活はこりごり」を吟味しようとうかれていた内田君に青天の霹靂が。

バレー部の一年先輩で、先に同じ大学に入学していた恵井さんがから電話があり、

「おう、内田、うちの大学入ったんだってな。バレー部(もちろん体育会)に入りますって監督に言っておいたから」

恵井さんが「今ちょうどアタッカー卒業して困ってたんだよな。お前入ってくれて(え?)助かるよ」と浮かれて話すのを気の遠くなるような思いで聞いたと言う。

6年間の運動部先輩に絶対服従の精神が確立してしまった内田君は恵井さんの命令に逆らう事が出来なかった。というか、監督と恵井さんの間ではもう内田君は入部する事に(勝手に)決まり、入部者リストに入っているらしい…

「で、その監督が美濃先生に輪をかけた鬼監督で…」

でも、そう話しながらもどこか内田君は楽しそうで、延べ10年間で培われたバレー人脈は大切な財産だと言っていた。

(文中は全て仮名・仮称です)