吃音の記憶4
前回からの続き
呼吸法によるリラックス、小さくあらかじめ「ひまわり」とつぶやく…
自分の力で吃音をどうにかしようとあがいてみたが、事態は改善しなかった。
吃音の場合よくあることらしいが、足踏みをしたり顔をしかめて何とか音を出そうと
するが、どうしても音が出ない。悪戦苦闘したあげく、私が出した結論は
ひまわりを辞める事だった。
表向きは「家庭の事情」を理由に私は退職を申し出た。
AさんBさん、社員の人は「せっかく慣れてきたのに」と惜しんでくれた。
しかし、私は出社が、電話が恐怖になっていた。それから解放されるのは安堵でしかなかった。退職後、電話や会話で「ひ」で始まる発語で悩まされた事はない。
今にして思えば、知らず知らずのうちにストレスがたまり、無意識のうちにひまわりに出社する事へアレルギーが生じていたのだと思う。ひまわり自体は嫌ではなかったけれど、Cさんに対する抵抗が理由で。
出社時に体調不良、心の不調を感じた事はなかったけれど、電話応対で会社名が出てこない、いという形でそのひずみが現れてしまったのだろう。
突然今まで何の問題もなく言えていた言葉が出なくなってしまうという体験は初めてで、衝撃的でもあり自分の体が思い通りに動いてくれない、というもどかしさにも焦燥した。
鬱状態の時も、体が鉛のように重く、思い通りに活動出来ないという経験はしたが、今回は特定の言葉が出ないという顕著かつ分かりやすい形で現れたのだった。
本当に心と体の繋がりは不思議で複雑だ。自分の体でありながら、コントロール出来ない辛さと苦しさを今までとは違う形で味わった。
私はひまわりを辞めた事で吃音の苦しさから逃れる事が出来たけれど、私と似たような境遇に苦しみながら辞める事ができない人もいるだろう。
ブログを書こうと思って検索していたこんな記事があった。
「しゃべる」事はは毎日毎日欠かせない行為だから、その度に吃音に悩まされるのは
本当に苦しいと思う。短期間で限られた局面ではあったが、私も本当に辛かった。
上記の記事にもあるが、そして吃音を指摘されたり、馬鹿にされる事でますます悪化したり、話すことに後ろ向きになってしまう。
吃音には決定的な治療法は確立されていない。治すことが困難ならば、吃音を受け入れるー当時者も周りもー事が最善の道なのではないかと思う。
(文中は全て仮名・仮称です)