そううつ色々図鑑ーメンヘラ歴1/4世紀ー

双極性障害持ちゆえに出会った色々な人たち、出来事について。精神科入院生活の有様。サイテーな家事・育児についても。

うつ母のサイテー東大育児12 小学校へ

小学校

そんなこんなで、ドタバタ混乱の中でも子供は成長し、小学校入学となった。

歩いて行ける距離の「地元の公立小」である。

特色と言えば、新しくマンションが建てられ始めていたので他所から

そこに越して来た新住民と、元々地域でお店や事業を営んできた

旧住民とがいた事だろうか。PTAではちょっと軋轢があったようだが

子供たちの間では壁も隔てもなかった。

私は相変わらず調子が悪かったので、勉強を教えてあげるどころの話ではなかった。

漢字の書き取りなどの簡単な宿題の確認や丸付けが親に課されていたのだが

それすら大きな負担だった。

「先生の仕事じゃないのー」と心の中で愚痴りながら子供のノートをチェックして

いた。

その最低限の親への割り当て以外は本当に何もしなかった。PTAの仕事も

体調が悪いので(これは言い訳ではなく事実なので)やらなかった。

ただ、保護者会にはまめに出るようにしていた。これは保育園の頃から

出席するように心がけていた。

一つは学校の様子を知るため。子供は自分の都合の悪い事は言わないし

子供の視点からの話でしかないので。子供の視点はそれはそれで大事なのだが。

また担任と仲良く、まで行かなくても「敏記くんのお母さんはあの人ね」

と認識して貰える程度の関係になっておくと、コンタクトを取ったり相談がしやすい。

もう一つは他の保護者から色々な情報を得られる事だ。塾や習い事、

地元の中学の評判、中学受験。

自分で情報を集めるだけの余裕も体力もなかったので、保護者同士でのよもやま話から

色々な知識を伝授して貰った。上に兄弟がいる人は中学に関して詳しい。

中学に進学する際、学校選択制を利用した事は書いたが、これも保護者会

でのママ友情報が大いに役立った。

utuutuyasuyasu.hatenablog.com

上記の記事に書いたが、何故か敏記(長男)の時にお受験ブームが起こり

クラスの子たちがこぞって塾に通い始めた。

保護者情報や、私の友人の経験で中学受験は親の協力や貢献がどれほど求められるか

聞いていたので、敏記が受験したいと言い始めたら、と戦々恐々だった。

子供の興味や意欲は伸ばしてあげたい、汲んであげたい。しかし、一日二日と言った短期なら何とか決死の覚悟でこなす事も出来るだろうが(保護者会出席もその一つだ)

中学受験は4年生から始まるとも、5年生からとも言う。そんな年単位で頑張れる自信はひとかけらも無かった、

敏記が「受験って塾に通ったりして大変そうだから僕しない」と言った時には

心の底から安心した。