患者図鑑134 ゲームの魅力1
ゲーム脳とかゲーム廃人という言葉を聞くけれど、私がB病院(精神科単科病院)で
ゲームが一因で(と思われる)入院していた人が一人だけいる。
その人は男性患者で、何度か書いてきたように男性患者と女性患者は基本的に生活する空間が違うので、顔を合わせる事は少ない。
なので、その患者、多木君も直接見た事も言葉を交わした事も多くはない。いわゆる「情報通」の女性患者から聞いた話が多くを占めているので、真偽のほどは疑って読んで欲しい。
多木君は、まだ大学生で入院患者男女合わせた中でとても若い部類だった。見た感じは普通の今どきの若い大学生。漫画などでゲーム漬けとして揶揄して描かれる、ぷっくりした体型、眼鏡、髪はボサボサという感じでなかった。スリム… というよりはやつれた感じで顔色は悪かった。
情報通の島崎さん
によると、スマホで課金するゲームとオンラインゲームにはまって、多額のお金と時間を費やすようになった。学校は行かない。部屋から出ないで、ろくろく食事も睡眠もとらずゲームに没頭。大学にも行かなくなる。不規則、不健康な生活で痩せてきて、
ゲームをやめるよう注意すると暴れたり暴言を吐いたりする多木君を案じたお母さんが病院に連れて来たと言う。その連れてくるまでが大変だったのよ、とは島崎さんの弁。
多木君の治療は、まずゲームを絶ち、規則正しい生活をさせる事になった。他の患者の場合はパソコンもスマホも持ち込み自由、就寝時間などでなければ使用に制限はない。
しかし多木君の場合は厳しく持ち込みを禁止された。
(文中は全て仮名・仮称です)
患者図鑑133 ひし形大好き2
前回の続き。
添畑さんのひし形好きは、服やアクセサリー以外でも朝昼晩と嫌でも認識させられた。
病院食は、ご飯、みそ汁、副菜。主菜がトレーにセットされた状態で台車で運ばれてくる。トレーに名札も乗っていて、自分の名が書かれたものを自席に持ってきて食事を取る。そして食べ終わったら、トレーを台車に返す。
漆畑さんの場合、食べ始める前に一手間入るのだ。
だいたい、食事はこんな感じでトレーに乗せられてくるが
漆畑さんは、お皿を並べ替え、「ひし形」を作ってから食べ始める。
食べ終わったら、さすがに普通にトレーに戻して台車へ運ぶ。
毎食毎食、漆畑さんのひし形並び替えが行われるのでいやでも彼女のこだわりに
感じ入ることになる。
また、作業療法の時も彼女の執着はいかんなく発揮される。ビーズ細工のプログラムの時がある。とは言え、高度な作品を仕上げるのが目的ではないのでビーズを編んだり複雑な組み合わせをするなど高等テクニックを要するものを作る必要はない。
単純にワイヤーや紐にビーズを通して行って、ネックレス、ブレスレットにする程度だ。ビーズは幾種類もストックがあって、自分で好きな物を選べるのだけれど、漆畑さんは期待を裏切らずひし形、もしくはひし形に近いビーズのみ選んでいた。ひし形が足りなくて、ブレスレットにするには短すぎる時も完成させる為に他の形、例えば丸や多面体を加える事は決してしなかった。先生にひし形を補充して下さい、と依頼して材料が揃うまで、それは未完のままであった。
ビーズが届いて完成したブレスレットを机に置いて、その丸い形を指できゅっと引っ張ってひし形にした漆畑さんは満足げだった。
患者図鑑132 ひし形大好き1
ドット絵で有名な草間彌生氏の事を、そして彼女が統合失調症を患っている事を知る人は多いだろう。ルイ・ヴィトンとのコラボ、24時間TVのTシャツなど、その作品を目にする機会は多い。
検索したところ、彼女がドット絵にこだわる理由としてwikipediaには(要出典、となっていたが)
「これは耳なし芳一がが幽霊から身を守るために全身を経で埋め尽くした様に、彼女が恐怖する幻覚や幻聴から身を守るために、作品全体を水玉(ドット)で埋め尽くす儀式でもある、とされる」
とあった。彼女の疾患が、その作品、特徴的なドット絵に多大な影響を及ぼしているのは明らかだろう。
草間氏のドット絵のように芸術として昇華された訳でも、いやそもそも作品すら制作していないのだが、「ひし形大好き」「ひし形尽くし」の入院患者がいた事をふと思い出した。草間氏のドット絵は上記のように幻覚や幻聴から自分を守るため、と言うが、ひし形が大好きなその人ー仮に添畑さんとするーが何故その形にこだわるのか、彼女自身は答えを持っていなかった。もしかしたら、主治医にはそれなりの見解があったのかもしれないけれど。
漆畑さんは、草間氏のように絵を描くわけではない。ひし形模様の衣類やアクセサリーを身に着ける。ひし形模様のついた物ー 例えば文房具、ノートやペンであったりハンカチを揃える。ひし形の組み合わせ、例えばアーガイル柄も「あり」だ。ひし形は、ダイヤの形でもあるので商品は多く、手に入れやすいらしい。
ひし形の大きさ、色、バランス比などはあまり重要視されない。
(文中は全て仮名・仮称です)
365と言う数
今日のブログを書こうとして、これが365目の記事になる事に気づきました。
毎日欠かさず更新出来た訳ではないし、一日複数の記事をUPした時もあったので
ちょうど一年、365日目という事ではないが切りが良くて嬉しい。
「さあ心のままに365日
ああ楽しくやろう365日」
が思い出される。
改変して
「さあ心のままに365記事
ああ楽しくやろう365記事」
かな?笑
ミスチルにも「365日」というまんまの歌があって、
「365日の心に綴るラブレター~」という歌詞があるけれど、
これも自分のブログ仕様にアレンジしたら
「365日の心に綴るラブレター(読んで下さる方への)
情熱に身を委ねて書き連ねる
明かりを守り続けよう 君の(そして自分自身の)心のキャンドルに
フ―っと風が吹いても消えぬように
365日の君に捧げる愛の(大きな意味の愛)の詩」
かな。
ちょうど明日は節分です。旧暦での新年の始まり。ちょうど大晦日に当たる今日365回目を迎えたのは予期していなかったけれど、ちょうど良い区切り。
明日からも宜しくお願いします。
鬱で失われるもの
前、歯が悪くて歯医者にかかっている話を書いた。
そのまま歯科に通い続けているのだが、どうも好転しない。歯科医の話では、子供や年齢が若いうちは虫歯に気をつけなくてはいけないけれど、年齢が上がると歯茎の問題のほうが深刻になってくるという。いわゆる歯周病だ。
上記記事に書いたように、鬱が悪くなる⇒寝たきりになる⇒歯磨きをしない ので、途端に口内環境は悪くなる。
歯周ポケットは深いほど深刻で、6mm以上だと重度だと言うが
私は6mm以上が数か所あって、一番深いのはなんと10mm。しかも、器具が10mmまでしか測れなくて、私の場合それ以上器具が入るそうなので10以上。深い闇過ぎる。
歯科医師からこれ以上歯周病が進むとどうなるか、図解で説明して貰ったが骨が溶けて歯を支えられなくなり歯が抜ける… もしくは抜く。次々歯を失っていく未来が想像されてクラクラした。8020というけれど、私が80まで生きていたとして、自分の歯は何本残っているのだろうか。
歯が抜ける事もだが、口腔ケアは心臓病、糖尿病、脳梗塞など様々な疾患と関連があると言う。鬱で歯が磨けなくなるのは私に限った話ではないだろうが、鬱由来で歯も肉体の健康も失われるのだと思った。
そのほかにも、人との交流、外出や旅行、勉強や習い事… 鬱になると行動力が極端に落ちるので、それらのものが中止したり中断したりする。本当に失う物は多い。
退院後の生活5 双極II型障害
それまで、例えば自立支援の診断書の病名は「うつ病」だったが、その時から今に至るまで病名欄は「双極性障害」となっている。
詳しい人には今更の話になるが、双極性障害には1型と2型がある。
国立国際医療研究センター病院のHPから引用すると
双極I型障害の躁状態は、社会生活に支障をきたすほどの激しい躁状態を引き起こします。たとえば、夜も眠らずに動き回る、話が止まらない、大きな声で話し遮られると怒る、などの突飛な行動を引き起こします。
双極II型障害の特徴でもある軽躁状態は、社会生活における著しい支障はない程度の躁状態のことを指します。本人が異常と捉えることはあまりなく、周囲が先に気づくことが多いです。
1型の方が症状が激しい。そして鬱と躁を繰り返すのに対して、2型は稀にしか躁転しない事もある。
私の場合も、最初から本来の病名は「双極II型障害」だったのだが、鬱が続き、「鬱病」と診断されていた。治療を始めて15年以上経ってから初めて躁の状態になり、「双極性障害」と診断がついたのだ。
こちらのHPにも説明があるが
鬱病と双極性障害の見分けは難しく、正式な診断に行きつくまで4~10年かかると書いてある。
このHPの下の方にうつ病の可能性と双極性障害の可能性を見分ける表(図)が載っているが、すべてが双極性障害の項に当てはまる訳ではないものの、寝すぎてしまう、他人からの拒絶が怖い、食べ過ぎてしまう等かなり該当する。胃腸の不調、眠れない、食べられないと言う事はなかった。こうやってみると、長い鬱が続いた双極性障害であったと納得が行く。
退院の生活4 躁転… 双極性障害の診断
買い物や、外出の他に今から思うと非常に多弁かつ早口になっていたと思う。もともと口数が少ない方でもゆっくり話す方でもないが、その時は頭に次から次へと話すことが
すごい速さで浮かんできて、言葉が付いて行かずろれつが回らないほどだった。
自分でも聞き取れないくらいの早口だった。
また、攻撃的・好戦的にもなっていた。その時携帯電話の契約、処方薬局などで小さなトラブルがあったのだが、直接相手にクレームを入れるにとどまらず、処方薬局の件は厚生労働省にまで電話をし(結局処方薬局に指導の連絡をしてくれたのだった!)携帯電話は責任者を引っ張り出すにまで至った。
普段の私なら、多少の不満は腹に納めるか、一本クレームの電話を入れて終わる。ところがその時は謝罪の対応の言葉尻を捉えて新たにクレームを入れる状況だった。きっと相手からは「うるさいクレーマー」と思われていた事だろう。しかしその時は自分の正義・正当性を信じて疑わなかった。
睡眠時間も少なかったが、疲れる事もなく活力があった。
自信・万全感・高揚感。そんなものに満ち溢れていた。
主治医は、私が軽躁状態である、と言った。入院中に、鬱状態改善の為に少し強い
薬を使ったが、それが引き金になったのかもしれず躁状態が出た、と。
ただ、元々双極性障害2型であったのでそのような状態になったのであり、もともとの素地が関係しているとも。
その時点で私の病名は「うつ病」から「双極性障害2型」となった。