患者図鑑56 私って美人!?
平林さんはおじいさん患者。男性棟の住人なので、顔を合わせる機会は多くなかった。
屋上、ここは男女共に外の空気を吸いながら談笑したり、ちょっとしたボール遊びなど
する場なのだが、そこで見かける程度だった。
平林さんはお気に入りのベンチがあり、定位置に一人で座っている。誰かと会話する事はなく、時々独り言を言っているようだ。
会話はしないのだが、「挨拶」だけは非常にまめにする人だった。自分が屋上に上がった時に既に人がいればその人たちに、ベンチに座った後に来た人がいればその人に。
しかしその挨拶がいっぷう、いや、にふうくらい変わっていた。
彼は男性には会釈しかしない。しかし女性には年齢を問わず近寄って行って「綺麗ですねえ」と表情を変えずに言う。それが毎回のお決まりだった。
恥ずかしながら、最初に平林さんにそれを言われた時はとまどってどぎまぎしてしまったが、それは私だけに対してでもないし、思って見たら「『あなた』は綺麗ですね」
とは言っていないのだ。平林さんは人と目を合わさない。いつもどこをみているのか分からない、焦点の合わないような目をしていた。
だから綺麗なのは「空」かもしれないし、屋上の花壇の「花」かもしれないし、屋上からの「眺め」なのかもしれない。
しかし主語が何であったとしても、特に人を不快にさせたり害がある訳ではない。
なので、「綺麗ですね」の挨拶があっても、女性陣は軽く受け流して済ませていた。
しかし、聞き流しの対応が出来たのは平林さんが枯れたおじいさんだったからで、
もし若く眉目秀麗な男性が同じ挨拶をしていたら、勘違いやさやあてで修羅場が
生まれていたかもしれない。
(文中は全て仮名・仮称です)