患者図鑑93 岸壁の母
「岸壁の母」とは、Wikipediaによれば第二次世界大戦、ソ連(当時)による抑留から解放され、引揚船で帰ってくる息子の帰りを待つ母親をマスコミ等が取り上げた呼称。その一人である端野いせをモデルとして流行歌(1954年など)、映画作品のタイトルともなった。
歌など相当ヒットしたらしいのだが、私はそれを知らない。
私が「岸壁の母」を知ったのは、戦争とも舞鶴とも関係のない、B病院入院中の事である。B病院は既に記事に書いたように、解放病棟だ。主治医の許可さえあれば、外出も外泊も出来る。
手続きとしては、外出(外泊)用紙に行き先と病院を出る時間、帰る時間と行き先を書いてナースステーションで確認印を貰う。出口に守衛がいるので、用紙を見せて外出。帰りにも守衛に用紙を見せて病院に入り、ナースステーションに用紙を提出するという流れだ。
入院患者の出入り口は病院の裏で、外来患者のそれとは違う場所にある。しかし、外出とまで行かなくても裏庭などに行く人もいるので(その場合外出用紙は不要)施錠もされておらず頻繁に患者が出入りしている。
患者用の出入り口の所に、良く日笠さんという女性患者が立っていた。私が外出する時も、扉の方を向いて立っている姿を必ずと言ってもいいくらい見た。外出する訳でもない。裏庭に行く訳でもない。ただひたすら扉の前で立ち尽くしているのだ。
その彼女を見て、ある年配の男性患者が、「ありゃまるで『岸壁の母』だね」と評した。「岸壁の母」は外地から帰国する息子を待つ母の話だが、日笠さんは何を待っていたのか。もし外出したいのなら、医師の許可さえあれば外に出られるのだし、許可が得られないにしても外に出たそうな様子はなかった。としたら、誰か、例えば家族や友人を待っていたのだろうか。
(文中は全て仮名・仮称です)