患者図鑑94 抜毛症ー福本さんの帽子ー
今日電車に乗っていたら、向かいの席にとてもおしゃれな帽子を被った女性が座っていた。凝った帽子を見ていたら、ふとB病院で一緒だった福本さんを思い出した。
患者は病棟内で過ごすことが多いので、ルームウェアにスリッパが一般的だった。その中で一人、福本さんはいつも帽子を被っていた。建物の中にいるのに、と違和感があった。しかも食事の際も、作業療法参加時もいついかなる時も帽子を被っているのだ。
その帽子もおしゃれな感じでなく、ちょっとくたびれたフェルト製でコサージュのような飾りがついているのだが、それも下を向いて花びらが取れかけていた。
いっそ被らないほうがいいのに、と内心感じていた。
とは言え、帽子以外は控えめであるけれど、愛想も良く人当たりのいい人だった。食堂でのおしゃべりにもそれなりに参加していた。
ある時、戸田さんというユーモアあふれる人がとてもウケる冗談を言った。そこにいた人は皆どっと笑ったが、戸田さんも思わず噴き出した… 時に、頭が揺れ帽子がずれた。今までくしゃくしゃの笑顔だったのが、瞬時に真顔になって両手で帽子を押さえた。帽子はファッションでもおしゃれでもなく、福本さんにとって「いつも被っていなくてはならないもの」だという事が分かった。
それから半月ほど経っただろうか。たまたま福本さんと私ともう一人、三人で食堂で話をしていた。食堂は他に人がおらず静かだった。その雰囲気に促されたように、福本さんは何故帽子を被っているかこっそり教えてくれた。
周りに誰もいないのを見渡してすっと帽子を取った。いつも帽子からはセミロングのウェーブのかかった髪が見えていたのだが、帽子の部分は殆ど毛が無かった。
「抜毛症なの」
抜毛症。初めて聞く言葉だった。
強迫的に自分の毛を抜いてしまうのだと言う。いてしまった後の毛を見て、
その度に後悔し、やめようやめようと思うのだがまた繰り返してしまう。
ちょっと調べた限りでは、なかなか治りにくいようだ。
帽子が抜毛症を隠す道具でなく、おしゃれや日よけのアイテムに
変わる日が早くくるといいな、と思った。
(文中は全て仮名・仮称です)