そううつ色々図鑑ーメンヘラ歴1/4世紀ー

双極性障害持ちゆえに出会った色々な人たち、出来事について。精神科入院生活の有様。サイテーな家事・育児についても。

患者図鑑112 マンマ・ミーア!

イタリア

ずっと患者仲間鷲塚さんのイタリアンデビューの話を書いてきて、ふと思い出した明石さんについてご紹介。

明石さんは、鷲塚さんとは入院期間が重なっていない。であるので、Xでの食事会にも参加していない。

何でイタリアンの話を書いていて明石さんを思い出したかというと、彼女はB病院での「イタリア」であったからだ。明石さんは30後半くらいに見えたが、若い頃にイタリアに半年語学留学していたそうだ。帰国してからもイタリア大好きで、イタリア映画、料理、芸術… イタリアとつけば何でも目が無いのだった。

明石さんのルックスはぽっちゃり目で、パスタ店ポ○ラマーマのキャラクターにちょっと似ているかもしれない。

イタリアかぶれを自称するだけあって、驚くと手を拡げて「マンマミーア!!」と絶叫する。他にも何かにつけイタリア語で色々感情表現をする。悲しい・淋しいと言うのをイタリア語で「トリステ」というらしいのだが、「トリステ、トリステ」、また「プレー後」(どうぞという意味)「ボゥ」(さぁ、という意)も良く口にしていた。

B病院では間違いなく異色の存在だった。いや、B病院でなくてもしょっちゅう大ぶりなジェスチャーと共にイタリア語で何か叫んでいたら、それは目立つだろう。欧米か(←古い)。

彼女のイタリア留学時代は、人生の中でも黄金時代だったようで(その時はまだ病気ではなかった)たくさんのイタリア人男性に口説かれたとか、イタリア中を旅行して回っただとか話は尽きなかった。また二十代そこそこで、人生バラ色だったのが彼女のうっとりした口調から察せられた。

それをいつまでも取り出して懐かしんでいるのも進歩がないかもしれない。また明石さんの話に誇張や思い出補正がないとは言えない。けれど、年配者の長期入院者を見ているとそのような人生クライマックスの時期すらなかったように思える人たちもいて、ただ淡々と語るべき誇るべき過去すらないよりはましなのかと思ったりした。

(文中は全て仮名・仮称です)