うつ母のサイテー東大育児9 友達
以前、母の本棚にあった西川勢津子著の「私の嫁いびり」という本を流し読みした。
内容は全く嫁いびりではなく、西川氏から息子の妻となった人への、家事の手ほどきであった。西川氏は家事評論家だったようで「私の家事とは、時間とお金を徹底的に
切り詰める事です」と書いてあったのが印象に残っている(おぼろげな記憶なので
間違っていたらご容赦頂きたい)
私は子育てに関しては、お金は出来る範囲で、そして時間と手間は徹底的に切り詰めざるを
得なかった。切り詰める、というと意識的に節約する意味合いだが、私の場合は
体力気力が尽きて、割ける時間を生み出すことが大変困難であったのが実情だ。
子供と遊んであげるのは難しかった。そうすれば選択肢は1遊ばない 2他にゆだねる
となる。
2のゆだねる相手は夫であり、親戚でもあるが日常的には保育園や学校の友達になる。
前述したような工作教室など若干の習い事以外は子供は特に予定はない。しかし、外や友達の家に行くのが続くとそのうち「友達うちに呼んでいい?」と言い始める。友達の方も「今度は安井の家で遊ぼう」とリクエストを出してくる。
うちは散らかっている。おもてなしも出来ない。けれど、そこだけは割り切って
友達に来てもらった。一人でゲーム機を向き合っているよりは、友達と
遊んで欲しかった。
散らかっている中でも一部屋だけまともな「遊び部屋」を作り、お菓子なんて
作ってあげる余裕はないから、お金を持たせてジュースやお菓子を用意させる。
私は顔を出すか出さないか。お母さん部屋(私が寝ている部屋)は汚いし
、寝ているので「絶対に」入らないように。それだけは厳命しておいた。
「遊び部屋」と「お母さん部屋」の他に中くらいに散らかっている部屋も
あるのだが、トイレに行くついでにその部屋を開けてしまった子がいて
「安井、あの部屋すげえな」(散らかっているという意味)と言われたらしい。
次からその子が来ると「あのすげえ部屋見たい」と言う様になって、私は
必死に阻止していた。さらに散らかっている部屋もあるのだけれど(笑)
中学は選択制を駆使して、電車通学になった。
中学生になると遊び方も変わるし、簡単に学校帰りに友達の家に寄る事は
少なくなった。
しかし中学の友達で息子たちが仲良くしていた子は切磋琢磨していた。
環境の大切さでも書いたが、選択制で進学に熱心で実績もある中学を選んだ。
難関高校を目指す子も複数いて、そのような高校を志望校にすることに引け目も
ためらいも感じずにすんだ。
今回のテストで佐藤(仮名)に負けちゃった、清水(仮名)数学すげえんだよ
と、お互い励まし合っていた。私が「勉強しなさい」(実はこれはあまり言った事がない)というより何倍も効果があった。友達の効果は絶大だ。
一つ後悔、残念に思っているのは、家族ぐるみでホームパーティーや
バーベキューしてみたかった事。私が寝てばかりなのでそんな事は出来なかった。
雑誌でそう言ったおもてなし記事をみると、今できゅっと胸が痛くなる。
うつ母のサイテー東大育児8 全寮制という選択ーハリー・ポッター
子供の世話を十分にしてあげられないので、全寮制の学校へ行かせることを考えた
事、その案が夫に却下されたことは既に書いた。
夫は子煩悩であり、子供が自分の手元を離れるなどという選択肢はあり得ない事だったのだ。
私がつらさを訴えると、それならば手伝いの人を雇えばよいという。
それで実際家事援助の人を頼んだりしたのだが(カテゴリー ヘルパー図鑑参照)
週2日2時間程度では、助けとしては十分とは言えなかった。
もし全寮制の学校に入れば、栄養士が考えた手作りの食事。規則正しい生活、躾も教育もプロが指導してくれる。ぐちゃぐちゃの家で寝たきりの母親がコンビニ弁当を与えて
いるのよりも優れた環境ではないだろうかと思われた。
五藤医師や七瀬先生(カウンセラー)にもこの考えについて相談したが、
友泉さんが苦しいのならその選択肢を否定するものではないけれど、家庭の事なのでご主人と良く話し合って下さい、との回答だった。
夫の回答はNOであり、それは変わらなかった。
結果、青息吐息、綱渡りの状態で手元で子供が育てる事になった。
しかしもし夫が同意していたらどうなっただろうか。
今何らかの理由で手元で子供を育てる事が難しい人に、全寮制を考慮する
事は、あながち頭から否定する事ではないのではないか。
検索してみたら、現在全寮制もしくは寮がある学校は
中学校で152校、高校で541校という(令和4年度 Wikipediaより)
思ったより多い、というのが私の感想だ。
全寮制学校とはどういう所だろうか。もちろん学校によりスクールカラーも
違うだろうが、一番イメージしやすいのはハリー・ポッターのホグワーツだろう。
もちろん魔法学校などありはしないが、英国の全寮制学校の様相が見て取れる。
ホグワーツで英才教育を受け、また人脈を築いていく
のは魔法使いとして大切な経験であるし、またハリー個人にとっては
叔母の家で半ば虐待されて生活するよりはホグワーツの寮生活の
方が幸せで恵まれた環境だった。
またおのずと自立心が育ち、自分の事は自分でやらざるを得ないので
自活能力もつくだろう。ハリーに取って、また多くの生徒に取っては
ホグワーツで学ぶことのメリットは大きかった。
しかし、メリットもあればデメリットもある。
一つは学費である。授業料の他に食費等の生活費も含むので
子供が複数いる場合は×人数になるのでそれなりの額となる。
兄弟間の軋轢を懸念すれば、一人を全寮制に入れたら他の兄弟も
となる可能性は生ずる。
愛知県の海陽学園(中・高)のホームページによれば
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授業料73.2万円/年と施設維持・充実費50.4万円/年で123.6万円/年が必要です。また、寮費126万円/年と食費42万円/年を合わせると、合計で291.6万円/年となります。
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上記の学費の場合、うちが二人の子供の6年間分の学費を払えるか?というとなかなか厳しいものがある。
食費や諸生活費、習い事や塾にかける分の必要がないとしても、だ。
また育児は辛くはあったが、子供の成長を見るのは心躍るものであった。
背が伸び、声が変わり、子供から少年、青年へと成長していく。その課程を
追って行くのは親の醍醐味の一つだと私は思う。
その機会を手放してしまうのは迷いの出るところだろう。
また、どんな学校でも向き不向きがある。ハリー・ポッターでも
ハリーに意地悪をする生徒がいたが、彼はロンなどの友人、ダンブルドア
などの教師により救われていたが。
現実世界でも、寮生活や学校になじめず苦しむ生徒もいるのでは
ないだろうか。
やんごとなき方の例えで申し訳ないのだが、英国のチャールズ皇太子は
全寮制学校でいじめにあったという。
寮監や教師とそりが合わなかったり、友達関係がうまくいかない場合、
その場から逃げ出す事が出来ないのは辛い。ホームシックもあるだろう。
折しもハロウ校やラグビー校など、新しい全寮制学校の開校が続く。
色々なメリットデメリットを天秤にかけて、場合によっては全寮制という
カードを手に持っておくのも悪くないのではないか。
うつ母のサイテー東大育児7 環境の大切さ
子供に取って家庭環境が重要なのは言うまでもないが
幼稚園(保育園)、小学校~と段々外の集団で過ごす時間が増えてくる。
幼稚園や学校があまり良くない環境であると、家庭で頑張ってもカバーしきれない
部分が出てくる。
一つの選択肢としては、小学校や中学校から私立に入れる事。
しかし、それにはまず入学試験にパスしなくてはならないし、お金もかかる。
うちは敏記・茂洋共に保育園→公立小中だ。
保育園は空きのあるところに入園するので、こちらの選択の余地はなかった。
小学校は近い所にあったのでそこに入れた。
その点、友人のゆみ(仮名)は徹底していた。結婚が決まり家を決める際。、
一番評判のいい校区に新居を探したのだ。
そこはゆみの夫やゆみの職場からの通勤には若干不便だったのだが
生まれてくる子供の通学先を最優先したのだという。
親戚のQ(仮名)は、4人の子供がいて、3人まで公立小→中に通わせていた。
末子が小学生の時転居したのだが、そこの校区(当時は選択制は無かった)
の中学校の評判がかんばしくない事を聞き、急きょ四人目にして初めての
中学受験をさせたという。
そこまで出来ればいいが、うちはぼーっとマンションを購入した。
家から保育園と小学校が近く、公園もそばにあるのは良かった。
近くの小学校に入れ、やがて中学進学時がやってくる。
うちのような特に教育熱が高くない地域でも、なぜか中学受験ブームが
来た。不思議な事に長男の時にはかなりの子供たちが
受験をしたのだが、次男の時にはブームは去っていて受験は少数派だった。
中学受験は親の受験と言われるくらい、親の関与が大切だ。塾の送り迎え、
お弁当、教材の整理、宿題の手伝い等々。
子供を中学受験させた友人の話を聞いて、私にはとても無理だと思った。
子供は周りの子が受験するので、ちらっと興味は示したが、その為には塾と言う
物に行き、学校の他に受験勉強という物をしなくてはならない と知り、尻込み
した。
受験はさせないけれど、中学は慎重に選びたかった。小学校は小さい子が徒歩通学
するのだし、放課後一緒に遊ぶ事から近隣であるメリットは大きいと思う。
しかし、中学になれば一人で電車やバス通学も出来るし、そばの公園で鬼ごっこ
のような遊び方はしないだろう。
うちの場合は中学校が選択制だった。ここだけは少し頑張って、
見学に行ったり在学生の親の話を聞いて情報収集に努めた。そして選べる中でベストの選択をした。
環境は本当に大切である。毎日通う学校での、友達や先生から受ける影響は
非常に大きい。親のいう事は耳に入らなくても。不思議と教師や友人の言動
には影響を受けるものだ。
逆に言えば、環境を整えてしまえばある程度親は楽が出来る。
実は私自身が公立小→中なのだが、偶然であったが他地区の人がこぞって越境
入学してくるような学校だった。その頃はその学校しか知らないのから
当たり前のように環境を享受していたが、子供が地元の小学校、また転校先の
小学校を見るをいかに自分が恵まれた環境にあったか痛感した。
今になって当時の教諭や友人とその頃の話をする機会があるが、
教師も伝統校の名を汚すまいと誇りを持って先鋭的で意欲的な授業を、
何度も会議を重ねて試行錯誤していたそうだ。。
親も子供を越境させるくらいだから、皆教育熱心で学校行事にも協力的だった。
うつ母のサイテー東大育児6 読書について
子供には読み聞かせを!読書の習慣は大事!
はい、大正解。全く異論はない。
しかし、である。頭では痛いほど分かっているけれど、読み聞かせもやって
あげたい、図書館に連れて行ってあげたいと思うけれど、何とも体がいう事を聞かないのだ。
これも何度も書いたが、ともかく起き上がれない。外出と言えば保育園の
送り迎えと自分の通院で精いっぱい。
日々の買い物は夫に頼んだり、生協の宅配を利用していた。
読み聞かせ、と言えば膝に抱いて読んであげる光景を想像するだろうが、私の
場合は「良くて」寝ている私の横に子供が腹ばいになって聞く状態だった。
ご存知の通り、子供は本を繰り返し読んでもらいたがる。最後のページが
終わるやいなや、「読んで!」と最初から始めようとする。私は頑張っても
二回が限度だった。全く読んであげられない事も多々あった。
私の友人Pさん(仮名)が読み聞かせ会をするというので子供を連れて行った事が
ある。Pさんは、女優か声優顔負けの感情移入ぶりで、その読みっぷりは素晴らしかった。本当ならば、出来るならば彼女のように情感たっぷりに読んであげるのが理想
だろう。しかし悲しいかな、現実は字面を読み上げるのが精いっぱいだった。
読み聞かせ会と言えば、図書館で開催される事も多い。私は体調が良ければ子供を読み聞かせ会に連れて行くのが結構好きだった。
「子供が本に触れる機会になる」「無料である」「子供が読みきかせに夢中になっている間は、そばに座っていれば良く、休む事が出来た」からだ。
私が読めない分、夫や祖父母などの親戚、少し年上の従兄弟に読んでもらう事もあった。敏記(長男)も自分がやっとひらがなを読めるようになった頃、弟(茂洋)
に絵本を読んでやっていた。
さて、読み聞かせ以前にまず「本が家にある」事が大前提である。東大を目指すなら
東大の存在が頭の中になくてはならないように、
本がある環境がまず第一歩だ。本屋やネットで購入してもいい。図書館の利用、親戚や友人からおさがりを譲って貰ってもいい。コロナ下では異論もあるだろうが、私はバザーや古本市でも安く児童書を購入した。
人のおさがり、というのは一旦それを購入されている、お金を払って買おうという
基準をクリアしているのでそこそこいい本である事が多い。
○○全集、といったセットを揃えるのもおすすめだ。子供が興味を示す書物と
親が読んで欲しい書物は必ずしも一致しないが、○○全集全✕巻で置いてあると、その中に一冊くらいは興味を惹く本があるものだ。
私が後から存在を知り、、自分も子供の幼少時に承知していれば使いたかった、と思ったのは絵本の定期購読サービスだ。選び抜かれた、そしてバラエティに富んだ本が年齢に応じて毎月届けられる。子供が届くのを楽しみにするようになればしめたものだ。
絵本は、子供の興味も汲みたいが、やはりいいものを選びたい。
長年愛されて読まれ続けられる名作は、いつまでたっても色あせぬ魅力がある。
例えば「ぐりとぐら」「三匹のやぎとがらがらどん」「いないいないばあ」。
私が子供の頃読んだ絵本だが、夫も子供の頃夢中になっていたというし、子供たちも
大好きな愛読書になった。
後々「子供の頃○○の本読んだ?」と共通の話題で盛り上がれる副産物まである。
本はそれを集中して読む事も大事だが、実体験とつなげていきたい。
例えば乗り物が好きで新幹線の本を読むとする。そうしたら今後は実際に新幹線
に乗ってどこかに行く。そこで海を見たら、海に興味が出て海の絵本が読みたく
なるかもしれない。逆に体験が先で、動物園でライオンを見た。そこからライオンの出てくる物語でもいいし、動物図鑑に繋がっていってもいい。書物と体験が双方向に
作用、刺激しあって世界が広がっていくのが理想だ。
逆に言えば、何かの本を読む→その内容が体験できるという実サイクルの
積み重ねは、子供が本に手を出すモチベーションになるだろう。
結論:読み聞かせが出来なければ、せめて本を揃えよう。子供の目の前に
本を置いておこう
うつ母のサイテー東大育児5 習い事ー幼児教室等
同じマンションに住む、うちの子と同年齢で幼稚園に通っている子の様子を見ると、幼稚園自体で英語やリトミックなどの幼児教育を受けている場合もあれば、降園後に習い事に通っているケースもあった。
保育園だと9時登園4時迎えだったので、習い事に通う時間を確保するのは難しかった。
(尚、子供の通った保育園では特に教育や学習のカリキュラムは組まれていなかった)
園児の習い事を見ても、時間の関係上若干近所のジムで体操やスイミングをする子が
いる程度だった。
私も自分が思ってもいなかったうつになる前(例えば妊娠中)は英語も習わせて、
運動もさせて… と夢を描いていた。しかし、現状は保育園の送り迎えがやっとこさっとこなので習い事に連れて行く余裕などない。
唯一、いや唯ニさせたのがスイミングと工作教室だ。
スイミングをさせたのは二人とも喘息気味だったから。うちのすぐそばまでスクール
バスが来ていたので、それも大きかった。
また、スイミングは支度が容易、洗濯が簡単なのもとても助かった。後述
するつもりだが、小学校に入って子供はサッカーを始めた。サッカーの泥汚れを
落とすのは毎回なかなか手間だった。
もう一つの工作教室は、ママ友N先生(仮名)が趣味でやっているようなものだった。材料費実費程度のお礼で、先生の自宅でお絵描きや工作、折り紙など行う。子供たちが集まってわいわいがやがや。時にはおやつもふるまわれる。ここは保育園の友達O君に誘われ通い始めた。習い事、というよりN先生の所に遊びに行く感覚だったと思う。
N先生宅はうちからとても近く、O君のお母さんが時々送り迎えをしてくれた
のは有難かった。
ここで言いたいのは、「スイミングや工作教室に行けば教育的効果が見込めます」ではなく、「子供の能力を伸ばします」と謳った幼児教室に通わせられなくても何とかなりました という体験談だ。また子供を観察して、「N先生の工作教室に行きたい」という興味に応えてあげられたのは良かったと思う。
※ちなみに小学校に入ってからの図工の成績は3でした(笑)
もし、自分が何の問題もなく子供を習い事に通わせるとしたら、ピアノ
なんていいなぁと思う。
ピアノで好きな曲を自由に弾いている人を見るととても羨ましい。
実はほんの短期間ピアノに通わせた事があるのだが(子供の友達の影響である)家での
宿題練習に全く私が付き合ってあげる事ができず、友達の方がどんどん
上達していくのが嫌になったのか、子供自ら止めてしまった。
それと、何故だかしらないが優秀なお子さんはピアノが上手な事が多かった。
反復練習がいいとか、指を使うのが脳に効果的とか色々言われているが
理由はどうであれ、あんなに成績がいいのに、ピアノまで弾けるの!と驚かされた
のは一度や二度でない。
また、ある英語の先生が「耳がいいと語学の習得が早い」と言っていた。
楽器をやっていると耳も良くなるので一石二鳥の話だと思った。
うつ母のサイテー東大育児4 何歳から東大?
ものの本によれば、幼児教育は0歳から始まるとされている。
では東大を目指するとして、何歳から「東大行くぞ!」と掲げればいいのか。
これに関して、私は背筋が凍るような話を聞いた。
ある女性が出産し、夫の父(赤ちゃんの祖父)が病院に来た。赤ちゃんの
顔を見ながら発した第一声が「この子は東大に入るかなぁ」
何という発想だろう、まずは出産を終えた母親と赤ちゃんの無事と健康を確かめ、これから幸せな家庭の中で育っていく事を願うのが第一ではないだろうか。
また不思議なのが、その母親が義父の希望に応えてこの子を東大に入れなくては、と決心した事だ。
確かに東大です、というのは高いステータスがある。漫画「ドラゴン桜」(三田紀房 講談社)によれば「人生のプラチナチケット」だ。東大合格者数が週刊誌に載り、
東大卒がもてはやされるのもそれだけ憧憬の的だからであろう。
東大が日本での大学の頂点(分野によっては必ずしも頂点ではないかもしれない)
であり、莫大な予算や豊富な教員による恵まれた教育環境である事は疑いない。
国立なので学費も安い。
しかし子供が成長する18年後はどうか。グローバル化や多様化が進み、今より
他国の大学に進学する事がもっと広がるかもしれない。
しかし、話を広げ過ぎてもまとまりがなくなるので、何歳から東大を意識させるか
という話に戻る。
進学する、受験するには「東大」という存在をまず子供が認識するのが前提だ。
ターゲットを知らなくては話が始まらない。
最初は「ここを目指すのよ」でなくていい。東京大学という大学があること。
それはどこにあって、どんな規模で、どんな施設があって勉強が出来て…
それをおいおい、少しずつ分かって行けばいい。
首都圏に住んでいるならお散歩(コロナ禍の今は分からないが、東大構内は
良いお散歩コースだ)や学園祭に行ってもいい。地方にいても写真やHP
を見たり、東大が絡んだTV番組やビデオを見ることはできるだろう。
今なら「東大王」か(笑) もしくは東大出身の人がインタビューに答えている記事、
書いた著書、何でもいい。
東大出身の知り合いや親戚に会わせたり、家庭教師を東大生にするのもとても良い手だと思う。
東大を出た(もしくは現役の学生)と直に触れ合って「案外普通の人だな」(当たり前の事なのだが)手の届かない雲の上のような存在でないんだと、肩の力を抜く事だ。初めからキリキリここに行くんだ、では余裕がなくなってしまい、苦しくなってしまう。
初めからピンポイントで「受験対象」「進学対象」として東大を捉えるのでなく、
ぼんやりと、存在の認識から入って行き、段々ピントを合わせて行くくらいの気楽さ
で良いと思う。
また、フォーカスしてみて合わなければ、海外含め他大学を選択するのは子供の適性、学力によるだろう。
まず「東大ってところがあるんだ」から始まって、それも出来ればポジティブで身近なイメージで。
その後進学先という観点で見始めるとしたら、早くて小学校高学年くらいかな、と思う。
東大進学を見据えて中学受験にトライするケースがあるだろうから。
ちなみにうちは二人とも中学受験はしていない。小学校時代に東大を受けるなんて
考えてもいなかったと思う。ただ「東大」を知ってはいた。
うつ母のサイテー東大育児3 兄弟の効用
第一子出産後のうつ病を発症したが、以下のような理由で
第二子を考えた。
結果うちの子供は二人兄弟なのだが、それには心底助けられた。
長男(敏記)が「ママ、遊んで」と寄って来ても私は布団の中でぐったりしていて要求に応えられない。
「ごめんね、ママ今無理なの」というと「しょうがいないなぁ。じゃあ
茂洋(弟)と遊ぶか」と去って行く。
私が相手出来なくても、兄弟という遊び相手や話し相手が常にいてくれるのは
とても心強かった。
それに大人と子供が遊ぶのと、子供同士で遊ぶのはまた違う。子供同士は容赦も
遠慮もない。手も出るし、足も出る。でもそういう事も必要な体験なのだ。
遊びの他にも、兄弟がいる事で我慢したり譲ったりを経験するのも
大切な過程だと思う。
勿論何らかの状況で子供が一人というご家庭もあるだろう。そういう場合でも、
兄弟がいなければ出来ない体験分を配慮・フォローしていけばば問題ないのではないか。じっくりと時間とお金をかけたり、ライバルのいないおっとりとした長所も一人っ子ならではだ。
私は自分がうつで兄弟が与える効用を補う余力がないことが十分
分かっていたから、子供にそれを託したのだった。
もし、歳の離れた兄弟だったら親代わりをしてくれるともいう。おむつを替えたり、
子守をしたりといった面での協力もあり得る。
敏記と茂洋は歳が近かったから、上の子が下の子の面倒をみるという事はなかったけれど私の代わりに相方を務めてくれた。
もう一つの効用は、兄弟がいると期待が分散することだ。
例えば敏記は運動が苦手だけれど、茂洋は足が速くてリレーの選手に選ばれるくらい
だからいいや。
茂洋は社交的ではないけれど、敏記は友達が多いからいいか。
そんな風に、どちらか一方が(親の身勝手な)期待や希望をかなえてくれたら
安心する事ができた。
私の子育てにおいて、子供が二人いてくれた事は本当に大きな支援だった。