今週のお題「わたし○○部でした」3 なんちゃって部活
今週のお題「わたし○○部でした」
私は料理部に入部した。これで部員は総計11名になった。
顧問は家庭科の教師だが、滅多に顔を出さなかった。だからこそやりたい放題出来たのだが(笑)
料理部は本当に部活と言っていいのか。そのいい加減さ。緩さ。文化系の部活と言っても、例えば演劇部や吹奏楽部が発表前など鬼気迫る練習を重ねていたので、一括りにしては申し訳ないと思ったくらいだ。
入部して少したってから、クラスメートから「友泉、料理部入ったんだって?」と声をかけられた。
「うん」と答えるとクラスメートは笑い出して「あそこ、おしゃべり会、お茶会でしょ?」と真実を突いてきた。
「えー-、本当だけど知ってるの?」
「うん。○○高なんちゃって部活の筆頭だよ」と笑い転げている。
そのなんちゃって部活に結局卒業まで籍を置いた。放課後、ファストフード店に行く代わりに学校に居座って何か食べながらおしゃべりしていただけ。そんな怠惰な部活であったので、料理の腕があがった訳でも知識が増えた訳でも全くない。でも、部員たちとゆるゆると過ごした時間はそれなりに楽しいものであったし、帰宅部よりはずっと良かった。料理部の仲間とは今でも連絡を取り合っている。
高校時代が遠い昔になってしまった今でも、何かの拍子に「学生時代の部活は?」と聞かれる事がある。テニス部で挫折したというのも恥ずかしい。かと言って、料理部と言って料理好き、料理上手と思われるのも困る。聞こえのいい部活というのも変な話だが、胸を張って言える部活だったらな、という考えが頭をよぎる。
私は大学進学後就職したので、高校時代の部活を就活で聞かれる事はなかったが、
もし高校三年時に就活していたら、部活について何て説明したら良かったのだろう。
今週のお題「わたし○○部でした」2 料理部という名の
今週のお題「わたし○○部でした」パート2
授業が終わって、いそいそとユニフォームに着替えたりグラウンドにいそぐクラスメートを尻目に帰るのはちょっと悲しいものがあった。楽しい高校生活の大事な一面として部活がある、と受験勉強中に夢見ていたのに。
ちょっと鬱屈しながら帰宅部に属していた私に、違うクラスのかおりが声をかけてくれた。かおりはクラスは違うのだが、私と同じ中学出身だった。
「ねぇ、友泉部活入ってないの?」
「うん、そうだよ。テニス入ってたけど、ついて行けなくてさ。辞めちゃった。だから
今は帰宅部(笑)」と、かおりにテニス部で挫折した経緯を話した。
「そうなんだ。うちのクラスのえみとかりえとか、テニス部だけど中学からバリバリやってた口だもんね。友泉がやってくのは大変だったかもね」
うん、その通り。うなずくしかない。
「でも帰宅部ってさみしくない?」
さみしいよ。
「私料理部入ってるの。のりこやゆきえもいるよ!友泉も入りなよ」
えー-っ 確かに帰宅部を卒業まで続けるのは空しいけれど、食べるのは好きだけど料理は正直あまりやった事がない。
「大丈夫大丈夫!みんなそうだよ。実はね」
とかおりは声を潜めた。今部員は10名くらい。うち3名は幽霊部員。残る7名のうち、2名ほどが料理をし、あとの5名(かおり含む。のりことゆきえも)は「食べる専門」だそうだ。
「そんなの、ありー-?」
と思わず吹き出すと、かおりは涼しい顔で
「ありあり、大ありよ。ていうか、うちの高校の料理部の伝統ってそんなもんらしいよ。私が一年の時にこんなんでいいのかって思ってたら、こんなんでいいのよ、と三年の先輩が言ってたもん。料理担当の2人が休みとか、作りたくなーいって言う時は適当にお菓子買ってきてだべったりさ。料理部は作らなくてもいいんだよ。料理を【食べる】料理について【話す】も立派な部活動のうち!」悪びれず言い放った。
今週のお題「わたし○○部でした」1 テニス部脱落
今週のお題「わたし○○部でした」
一昨日だったか、夕方の番組で千葉県の県立高校の「たった一人のラグビー部員(高1 )」が取り上げられていた。顧問とマネージャーに助けられ、一人きりで練習したりSNSや校内放送で新入部員を求めたりと奮闘する姿が描かれていた。
途中から見たので彼が何故そこまでラグビーにこだわるのかは分からなかった。
私自身は、というと高校の話だがテニス部脱落からの帰宅部からの料理部である。私は高校に入って初めてテニスというものを始めたのだが、もともと運動神経が無い上、ほとんどの部員が中学(中には小学校から)の経験者だった。あっという間置いてけぼり。顧問も見込みのなさそうな私に見切りをつけたのか、最初に基本をちょっと教えただけであとは放置された。だんだん練習を休みがちになり、一年生の終わりには辞めたのだが、既に存在感が薄くなっていた私が部を去ったのは、誰も気づかなかったのではないだろうか。
テニス部を選んだのはまさに「何となく」。なんかお洒落でかっこよく、青春って感じ!と甘い気持ちだけで入ったのでついて行けなかった。
よっぽど運動神経が良くてスポーツ万能なら違うだろうが、鈍くてこらえ性がなく特定のスポーツに思い入れのない私には、二年から違う運動部に入る気にはならなかった。
そこから私の帰宅部生活(念のために言っておくと「帰宅部」という部活が有る訳ではなくて、部活に属さず授業後まっすぐ帰宅する生徒たちを帰宅部と俗称するのだ。
患者図鑑113 お母さん1
前回のタイトル、「マンマ・ミーア」
はABBAのヒット曲のタイトルでもあり、それをもとにしたブロードウェイミュージカルの題名でもある。
「マンマ・ミーア」「驚いた時の言葉」だそうだが、直訳すれば「私のお母さん」=おふくろさん。
前回の話のBGMをつけるとすれば、ABBAの「マンマ・ミア」か、「オーソレミオ」(すみません、私の中のイタリア代表曲はこれなんです)だが、今回の話は森進一「おふくろさん」か、童謡「おかあさん」(おかあさん なぁに おかあさんっていいにおい♪)だろうか。
マンマ・ミーアを連発する明石さんは、単に驚きの言葉として使っていただけで、その中に「お母さん」の要素は全く感じられなかった。飽くまで「びーっくり!」を表現する言葉であった。
しかし50代半ばを過ぎていると思われる石塚さんは、頻繁に「お母さん」を純粋にお母さんを指す意味で口にしていた。
「私のお母さんがね」というお母さんにまつわる話に始まり
「私のお母さんだったらそんな事はしない」
「お母さんが言ってたの」
石塚さんが自分から発する言葉の殆どに「お母さん」のフレーズが含まれていた。
石塚さんにとってお母さんが大切で重要な存在なのは間違いない。しかし、お母さんが石塚さんをお見舞いに来た事は一度も無かったので、その姿を見る事は無かった。しかし話の内容から故人ではない事は察せられた。
(文中は全て仮名・仮称です)
患者図鑑112 マンマ・ミーア!
ずっと患者仲間鷲塚さんのイタリアンデビューの話を書いてきて、ふと思い出した明石さんについてご紹介。
明石さんは、鷲塚さんとは入院期間が重なっていない。であるので、Xでの食事会にも参加していない。
何でイタリアンの話を書いていて明石さんを思い出したかというと、彼女はB病院での「イタリア」であったからだ。明石さんは30後半くらいに見えたが、若い頃にイタリアに半年語学留学していたそうだ。帰国してからもイタリア大好きで、イタリア映画、料理、芸術… イタリアとつけば何でも目が無いのだった。
明石さんのルックスはぽっちゃり目で、パスタ店ポ○ラマーマのキャラクターにちょっと似ているかもしれない。
イタリアかぶれを自称するだけあって、驚くと手を拡げて「マンマミーア!!」と絶叫する。他にも何かにつけイタリア語で色々感情表現をする。悲しい・淋しいと言うのをイタリア語で「トリステ」というらしいのだが、「トリステ、トリステ」、また「プレー後」(どうぞという意味)「ボゥ」(さぁ、という意)も良く口にしていた。
B病院では間違いなく異色の存在だった。いや、B病院でなくてもしょっちゅう大ぶりなジェスチャーと共にイタリア語で何か叫んでいたら、それは目立つだろう。欧米か(←古い)。
彼女のイタリア留学時代は、人生の中でも黄金時代だったようで(その時はまだ病気ではなかった)たくさんのイタリア人男性に口説かれたとか、イタリア中を旅行して回っただとか話は尽きなかった。また二十代そこそこで、人生バラ色だったのが彼女のうっとりした口調から察せられた。
それをいつまでも取り出して懐かしんでいるのも進歩がないかもしれない。また明石さんの話に誇張や思い出補正がないとは言えない。けれど、年配者の長期入院者を見ているとそのような人生クライマックスの時期すらなかったように思える人たちもいて、ただ淡々と語るべき誇るべき過去すらないよりはましなのかと思ったりした。
(文中は全て仮名・仮称です)
患者図鑑111 鷲塚さんのイタリアンデビュー6
という訳で、無事にXでの夕食会は終了した。皆、おいしい(&お得)な食事をお腹いっぱい堪能し、帰路についた。
前の記事に書いたように、外出も稀で外食などしたことがない
(医師から止められている訳ではない)鷲塚さんにとって、今回の外食は驚嘆の連続だったようだ。
ピザ、ラザニア、ティラミスなどイタリアンに詳しくない人でも知っている様な料理が彼女に取っては初見だった。一つ一つ説明するのに苦労した。例えば、ピザハワイアンならパイナップルとハムとチーズが乗っているピザだよ、と言えばいいが、そもそもピザは何ぞや??と聞かれると、解説して分かってもらうのは一仕事だった。
とは言え、鷲塚さんは今晩は楽しい夜のようであった。珍しく少し興奮気味で多弁にもなっていた。
ピザを知らない、かぁ。病院への夜道を歩きながら私はつぶやいた。今どきは小学生でも、地方に住んでいてもピザを知らない人を探す方が珍しいだろう。ピザは飽くまで一例で、例えば社会情勢であるとか、流行りものや芸能人など多分鷲塚さんは無縁の浦島太郎状態なのだろう。病院という閉ざされた限られた世界で、最低限のルーティーンをこなしていけば生きては行ける。けれど、それは本当に狭い世界で、小さな小さな自分で生きて行く事だ。それって一体幸せなのだろうか。でも自分の世界を狭める事でしか生きていけない人もいるかもしれない。今回の夕食会では色々考えさせられた。
(文中は全て仮名・仮称です)
患者図鑑110 鷲塚さんのイタリアンデビュー5
「さ、食べよ、食べよ!」運ばれてきた食事に早速手を付けたのは論田さんだった。
「おいしー-い」と目をつぶる。論田さんに促され、皆も次々料理を自分の皿にとりわけ始めた。とまどっている鷲塚さんの皿にも、いろんな料理を少しずつ盛ってあげる。
今まで見た事も、口にした事もない料理に鷲塚さんは明らかに当惑していた。
妥当な例えか分からないが、ふと子供に離乳食を与えていた頃を思い出した。
初めての食材を与える時は、親も緊張してしながら子供の口に運ぶ。子供も初体験の味に何か変な顔をするが、それでも飲み込んでくれるとこちらも安心して二口目を、という事を繰り返していた。果たして、初体験の味を鷲塚さんさんは受け付けてくれるだろうか。
それでも周りがおいしいおいしいと平らげていくのを見て、鷲塚さんも料理に手を伸ばした。「どう?」「おいしいです」鷲塚さんはにっこりと笑った。みな歓声をあげて安心した。初めの一口目の関門を過ぎたら、あとは順調に食べ進んでいった。時々この食材は何ですか、この料理は何ですかと質問が来たが、それでもおいしそうに嬉しそうに残さず食べていた。
最後のデザートになって、もういちどメニューを見せてもらう。
これは難問で、私たちも分からないデザートがたくさんあった。
カンノーリ?カッサータ?ビニエ??
デザート部門が充実しているのは誠に有難い事なのだが。もちろん、メニューには簡単な説明が書かれているのだけれど。ここでちょっと鷲塚さんが最初にとまどった気持ちが理解出来たりする。
鷲塚さんは当然私達以上に当惑している。食べた事がないデザートを彼女に薦める事も出来ないので、鉄板のティラミスを薦めてみた。ティラミスはご存知のようにマスカルポーネチーズがメインの材料だ。チーズが材料、と聞いて鷲塚さんは6Pチーズ(これは病院食で出る)のようなものを想像したようで、それがデザートになるなんて… と納得がいかないようだった。
しかし、運ばれてきたティラミスをおそるおそる口にして「おいしい!」と笑顔になった。
デザートとコーヒーで締め、その日の夕食会はお開きになった。
(文中は全て仮名・仮称です)