患者図鑑109 鷲塚さんのイタリアンデビュー4
確かに病院から出ずにいて、病院食ばかり食べていたら、食の広がりはない。似たり寄ったりのメニューがローテーションで出る。例えばピザもだが、握り寿司、ローストビーフ、タンドリーチキンは間違っても出ない。テレビや雑誌を見れば、口にしないまでもそういった料理の知識は得られるだろうが、鷲塚さんはそういう事もしていないようだった。
パスタも色々種類がある。ペンネ、カッペリーニ、リングネ。きちんと説明できるほどにはこちらも詳しくないので、スマホで検索しながら「こんな形。カッペリーニは細くて…」と説明する。
「ミネストローネって?」
「あ、それは野菜のスープ!トマト味よ」
「シェフのきまぐれサラダは?」
「それは私たちもわからないよ(笑)シェフが『きまぐれ』で作るんだから」
というようなやり取りを延々を繰り返し、やっとオーダーが決まった。気軽な店なので
大皿で何皿か頼みシェアする事にした。
運ばれて来た料理を見て、鷲塚さんと私たちの反応は明らかに違った。私たちは「おいしそっ 早く食べよ!」であったが、鷲塚さんは驚きといぶかしさの混じった表情で、しげしげと料理を見つめている。そしておずおずと料理を指さして「えっと、さっき言ったピザってどれ?」と聞いてくる。
これがピザで、上に載ってるのはチーズとサラミと…、これはカルボナーラで、と一つ一つ説明していく。私たちが注文したのは、ごく一般的な料理だったのだがどれも鷲塚さんに取っては初めて知る、見る物ばかりだったようだ。
(文中は全て仮名・仮称です)
患者図鑑108 鷲塚さんのイタリアンデビュー3
Xに到着した。まずはウェルカムドリンク。スプモーニやワインなどのアルコール、もしくはソフトドリンクが選べるが、一応B病院入院中は禁酒という事になっている。今日の外食は患者にも看護師にも知れ渡っているのでここはソフトドリンクにしておく。
乾杯してから、皆でメニューをのぞき込み、どれどれと品定めする。
気軽な店なので、コースなどでなく単品を頼みシェアする事に。
どれにするー?と言い合っていると鷲塚さんが当惑している。
論田さんが「鷲塚さん、何にする?食べられないものとかある?」と水を向ける。
鷲塚さんはすがるような目をして「ピザって… 何ですか?」と聞いてきた。
さすがに一同驚いた。イタリアンでもフレンチでも「これって何?」という料理がメニューに載っている事はしばしばだが、ピザが何かと聞かれると…
パスタはスパゲッティと言うと、ミートソーススパゲッティが病院でも出る事があるから分かると言う。そう言えばピザが病院で供される事はない。
ピザを一から説明するのは難しい。誰かがスマホから画像を見せたが、台は小麦粉で…
上にチーズや肉・魚、野菜などを乗せてオーブンで焼いて…
「どんな味がするのですか?」と聞かれたが、どんな味と言われても… ポテトチップに「ピザ味」があるように、ピザはピザの味だ。
鷲塚さんは今回が本当に久しぶりの外食で、外出と言っても近くのスーパーやコンビニに日用品を買いに行くぐらいなので、今まで一度もピザを食べた事がなかったのだ。
(文中は全て仮名・仮称です)
患者図鑑107 鷲塚さんのイタリアンデビュー2
イタリアンレストランXに行く5人のメンバーが集まった。早速論田さんがXに予約を入れて、○日の✕時に食堂に集合(食事に行くのに食堂に集合、と言うのも面白いが)。皆で連れだってXに行く事になった。
ところが、予約した日の前日になって鷲塚さんが雑談の場に現れて伏し目がちに話し始めた。
「明日、皆とレストランに行くって約束したけれど、私あまり外でご飯食べた事がなくって… 何か心配で。病院でご飯を食べる事にしようかと思って…」
論田さんは、5人以上の特典を逃したくない事もあいまって、鷲塚さんを説得する。
たまには外で食べるのもおいしいよ、Xは本当におすすめのところだから、皆一緒だから大丈夫だよ
不安そうではあったが、鷲塚さんは「分からない事があったら助けてね」と言って首を縦に振った。
Xに行く日、行くメンバーは昼間から気分が上がっていた。約束の一時間前から食堂に待機する人もいた。狭い病院内の事だから、X行きの事は周りにも知れ渡り、「いいなぁ。私もお金があったら行くんだけれどなぁ」(彼女に取っては、お手頃価格のXの、しかも一周年割引でも手を出しづらいようだった)と言ってくる人もいた。
時間通りに5人集まり、Xへと出発した。鷲塚さんは論田さんにあれこれ訴えているようであったが、論田さんが「もう夕食のキャンセル出しちゃったでしょ?病院にいても夕食無いよ」と言い放ち、先頭を切って病院を出た。
(文中は全て仮名・仮称です)
患者図鑑106 鷲塚さんのイタリアンデビュー1
主治医の外出許可さえあれば、外出(もしくは外泊も)自由に出来た。
気分転換や楽しみとして少なくない患者がしていたのが外食だ。
前に記事にした、居酒屋TはB病院入院患者御用達だったし
他にも近場・美味しい・お手頃価格 の店を開拓して歩く人もいた。
ある時、雑談の時間に病院近くの食べ歩きを熱心にしている論田さんが、興奮気味に
「W駅そばにある、イタリアンのXって知ってるよね?」と話し出す。
Xはお手軽価格で美味しいイタリアンが食べられる、雰囲気も良いと評判の店だ。
「開店一周年記念に、今月13日から一か月間20%オフ!しかも5人以上で予約すると、
さらに10%オフでウェルカムドリンクがつくのよ!」
Xの評判は私もつとに耳にしていたから、それに乗らない話はない。あっと言う間に日取りとメンバーが決められて行き、4人まで集まった。
「後一人!」と論田さんはノリノリだ。ちょうど雑談グループに鷲塚さんがいて、
彼女はXでの食事に手を上げてはいなかったが、論田さんが声をかけた。
「鷲塚さん、来ない?本当においしい所だよ(論田さんは既に行った事があった)。
病院から近いしさ。このチャンスにどう?」
鷲塚さんはおとなしく控えめで、グループで雑談する時も端に座って黙ってにこにこ
笑っているような人だった。そう言えば、あまり外出をする姿を見た事はない。外食を良くする人は、食事時に食堂にいないのですぐ分かるが、鷲塚さんはいつも居た。
(文中は全て仮名・仮称です)
今週のお題「やる気が出ないときの◯◯」
今週のお題「やる気が出ないときの◯◯」
私はうつ多め(というより殆ど)の双極性障害なので、「やる気が出ない」のは宿痾みたいなものである。
うつ自体がやる気が出ない病気なので、でもやらなくてはならない事は常に存在するので、どうやってやる気を出すか は長年の課題であり頭痛の種でもあった。
いかにやる気を出すか色々格闘した。エナジードリンクを飲む。「のうだまーやる気の秘密」(「のうだま」とは、脳をだます の略である)という本に書いてあったやる気の出るポーズを取る。過激なやり方では、「やらない自分」に対してひっぱたいたり殴ったりもあった。
しかし精神科の主治医は浴槽に水をためる事に例えて
ゆっくりエネルギーが溜まるのを寝て、休んで待つ事をアドバイスされた。あとは服薬。私の場合「やる気のなさ」が病気の症状の一つなので、単に気持ちの問題とか自分の甘さの由来する場合は、また違う対処が必要かもしれないが。
臨床心理士が講師をつとめた講座では、また違ったアプローチを教示された。マインドフルネス、森田療法に基づいた考え方で、やる気はなくてもいい。やるのが嫌でもいい。その気持ちを無理に消そうとせずに、行動に集中すること、と言われた。
例えば皿洗いが嫌だとする(これは仮定ではなく事実(笑))。「やる気を出す」→「やる気に基づいて行動を起こす」必要はない。皿洗いをただ行う。もし「嫌だなぁ」という気持ちが湧いてきたら、「ああ、自分は今嫌だなぁ」と思っているなと認識しつつ、皿を洗う事に集中する。
起き上がれないくらいの状態でない場合はなかなか有効だ。皿は洗えている、という結果が得られる。
講師の先生が「僕だって仕事なんかで面倒くさいなぁという事は多々ありますよ。その時、『ただやる』『やっている事に集中する』を実行しているんです」と言っていた。
病気でもそうでなくても、やる気が出ない事は万人の悩みのようだ。
患者図鑑105 凝縮された4.3㎡
相部屋に入院している場合、カーテンで区切られたスペースが自分のプライベートエリアになる。どのくらいの広さか、ちゃんと測った事はないが検索してみたら4.3㎡から、6.4㎡以上に移行する事を目指すという記事が見つかったので、多分B病院の一人当たりのスペースもそんなものだったのだと思う。
ベッドと床頭台を置くと、ほんのわずかなスペースしか残らない。そのわずかな空間をどう使うか、何を置くかでその人自身が凝縮されているように思う。断捨離ではないけれど、本当に自分に必要な物、無くてはならない物を取捨選択、どんどんそぎ落としていって残ったものを4.3㎡の中に詰め込むのだ。
以前書いた検見川さんの
子供の頃からの怨嗟の発露のような蔵書もそうだ。
これも何度も書いたが、自分の部屋以外は入室してはいけない規則だったので、同室の患者の事以外は分からない。でも、入退院や部屋変更で多少の移動があるので複数の患者のプライベートエリアを見る事が出来た。
可愛らしく、マスコットを飾っていたり、好きな俳優のポスターを壁に貼っていたり。
ものすごく殺風景なケースもあった。
強烈に印象に残っているのが連石さん。食堂や談話室で時々雑談をしたが、ごく普通の人。同室ではあったが、連石さんは出入り口から一番奥のベッドで、私は入口から近い所だったので彼女の場所までわざわざ行く事はなかった。
ある時、彼女が食堂にハンドタオルを忘れていった。見慣れていたので、連石さんの持ち物だと分かっていたので彼女の所まで持って行った。
「連石さん、忘れ物」と声をかけようとしてはっと息を飲んだ。
カーテンは開いていたが、連石さんはいなかった。そして壁一面にたくさんのお札… 神社で貰うようなお札が無数に貼ってあったのだ。
八幡神社、天満宮。著名な神社から、聞き覚えのない神社まで大小無数にあった。
私はハンドタオルを床頭台においてそそくさと退散した。少しの間動悸がして止まらなかった。
(文中は全て仮名・仮称です)
患者図鑑104 Place to Tryー応援ソングー
B病院の作業療法にはカラオケがあるのだが
カラオケルームではないので曲数が多い訳でも最新の曲が有る訳でもなく、
どちらかというと年配者が懐メロを歌う場となっていた。
若い世代は、ポータブルオーディオプレイヤーやスマホから音楽を聴いて楽しんでいた。
印象に残っているのは、同室だったまいちゃんだ。まいちゃんは大学を休学してたのでまだはたち前後だったと思う。いつもイヤホンを耳につけていた。
イヤホンで音楽を聴く人は分かると思うけれど、思わず聞こえてくる曲に合わせて歌を口ずさんでしまう事がある。本人は曲の中に入ってしまっているが、よそから見ると
一人で何か歌っているので変に見える事もある。
まいちゃんのお気に入りはTOTALFATの’Place to Try’だった。
「君は一人じゃない 涙越えて 君と進んでいこう 何も怖くなんてないんだ」
このフレーズを良く口ずさんでいた。夜、就寝準備に入ってそれぞれカーテンを閉めた
後、まいちゃんのところから「君は一人じゃない~♪」と聞こえてくる事もしばしばだった。
まいちゃんは、自分がこれからどうなるが、復学できるのか、社会に出て行けるのか
良く不安を口にしていた。それを払拭するために、自分を鼓舞する為に応援ソング、Place to Try を歌っていたのだと思う。私はまいちゃんに教えて貰うまでこの歌を知らなかったが、確かに聞いてみると励まされ気持ちが晴れた。
まいちゃん元気かな。今もPlace to Try を聴いているのかな。
(文中は全て仮名・仮称です)