退院への道3
また、何度も書いた「ヌシ部屋」の人々
ももう「退院」を自分の未来の中に描いていないようだった。B病院で、ヌシ部屋同士仲良く過ごし、連続テレビ小説を見ていれば何の不満もないように見えた。
もし介護が必要になったら特別養護老人ホームなどに移るんじゃない、と入院仲間が予測していた。
しかし、私は自宅に帰りたかった。家族と過ごしたかった。元の生活に戻りたい。
退院が視野に入るようになって、
「旦那さんにも聞いてみてね」
と主治医が言った。夫はまぁまぁ出張が多い仕事なので、退院のタイミングは夫が在宅している時の方がいいだろうという判断だ。
夫と連絡を取り、○月✕日、退院という事に決まった。
ところが、である。退院三日前、私はナースステーションに行って看護師さんに
「明後日退院なので手続き、支払い等どうすればいいですか?」
と聞いた。すると看護師さんは
「え??安井さん明後日退院??五藤先生(主治医)から何も聞いてないけれど」
と返されてしまった。
「五藤先生と話して、明後日✕日退院と…」
「じゃ、あとで安井さんのところに先生に行って貰うから」
びっくりである。私はもう気持ちの上でも、また実際に荷物を整理したり要らない物を捨てたり、明後日病院を去る気満々なのに。
不安に思いながら部屋で待っていると、五藤医師が現れた。
「あれー-、僕明後日退院って言ったっけ??」
「前の診察の時言いましたよー。で、その時は夫も在宅だからOKでしょうって」
「そうだっけ??」
五藤先生ー-- しっかりしてよ。私は指折り数えて待っていたのに。
「そうしたら、退院時に渡す薬とか確認しなきゃいけないからちょっと待って」
結果。五藤医師の記憶喪失のお蔭で私の退院は一日遅れてしまった(笑)
(文中は全て仮名・仮称です)
退院への道2
何度か帰宅⇒失敗(盛り上がりすぎ)を繰り返し、ようやく家に二、三泊しても
普通に平穏に過ごし、家事も少しずつ出来るようになった。
「そろそろ退院してもいいかもね」と主治医は言った。私自身も、入院した時のような明日自分が生きていられるか分からないと言った切羽詰まった気持ちが無くなり、体が鉛のように重い状態から回復した事を実感していたので退院を不安に思うというより楽しみになった。
ここで不安、と書いたのは実際入院仲間の中には退院の許可が出ても、病院を出てやっていけるか、と不安を抱いていた人が少なからずいたからだ。
菅さんは統合失調症で入退院を繰り返している人だった。私が聞いた話だと、今回は3度目か4度目の入院。入院して2~3年との事だった。
治療の甲斐があって退院の目処がつき、役所や保健所などとも連携しながら(いわゆる身寄りのない方だった)諸々の手続きを進めていると聞いた。そんな時、菅さんが主治医の先生の後を追いかけて廊下を走って行くのを見た。
「先生!だから私幻聴があるんですってば!」すがるようにして、幻聴を訴えていた。
それを見ていた、菅さんと同室の佐原さんが「菅さん、良くなってるはずなんだ。でも退院したくないのよね。退院しても待っててくれる人がいるでなし。ずっと入院してて、家事なんかも出来ないみたいなのよ」
佐原さんのいう事がどこまで本当かは分からないが、入院⇒治癒⇒退院というルートを必ずしも望まない患者がいる、というのは事実だと思う。
(文中は全て仮名・仮称です)
退院への道1
B病院(精神科単科病院)での「患者図鑑」で大分長くなってしまったけれど、
B病院の一回目の入院は4か月に少し欠ける位であった。
まず、へろへろでもう動くのもやっとという状態で入院
↓
医師から生活のリズムを取り戻す、起床・睡眠・食事を規則正しく取るように心がけるよう指示される
↓
何とか食事の時間だけは起きるが後は殆どベッドに寝たきり
↓
段々エネルギーが湧いてきて、食堂での患者同士の雑談に加わったり、作業療法に参加したりする(作業療法参加も医師の許可が必要)
↓
半日外出⇒一日外出⇒外泊 と少しずつ病院の外に出る機会を増やしていく
という過程をたどった。外出も、最初は近所のスーパーやコンビニから始まり、
自宅への日帰り、自宅への泊りがけと進んでいく。自宅泊も一泊二日から二泊三日へ、と段階的に伸ばしていく。
外泊を許可されても躁状態になり、また後戻りとなったことは既に書いた。
理想は少しずつ家での日常生活、例えば家事や買い物をスムーズに行う事が出来る事。
それが安定して出来るようになって初めて退院が見えてくる。
入院仲間の鹿倉さんはシングルで一人暮らし。サポートする人がいないので、彼女が帰宅した場合は主治医は微に入り細に入り様子を聞いて、退院後彼女が一人暮らしが出来るか注意を払っていた。
私は家族がいるので、そしてヘルパーに手伝ってもらう旨も伝えてあったので、まぁ7割8割大丈夫なら退院しましょうか、という主治医のスタンスだった。
(文中は全て仮名・仮称です)
HSPと聴覚過敏5 WAIS続き
前回からの続き
utuutuyasuyasu.hatenablog.com WAISは知的能力の他、言語能力、抽象的思考力、記憶能力、処理速度を測ります。
多分記憶能力のテストに差し掛かった時だと思うのですが、私が検査を行っていた部屋の隣の診察室に患者さんが入って来て、医師と話し始めました。それほど声高ではなかったのですが、話の内容が分かる程度のボリュームでした。初めは気にしないようにしてテストを進めて行ったのですが、もともと不得意分野という事もあり、集中できなくなって「すみません、隣の部屋の声が気になって出来ません」とカウンセラーに伝えました。
カウンセラーはちょっとびっくりした顔をして、もう少しやってみましょうと言って検査は進み、処理速度になると隣の会話が続いているにも関わらずスムーズに答える事が出来たのです。
次の受診の際、WAISの結果とカウンセラーのコメントを見た主治医から、要は私が不得意とする分野の検査だからことさら隣の音が気になってしまったのだ、という旨伝えられました。
どうやら私は「聞き流しながら」「音と同時に」物事を行ったり考えたりするのが苦手なのでしょう。
それに加えて、静かにするべき博物館、図書館で私語をしている!電車の中でうるさい!周りを顧みない行動に義憤を感じてしまう面があるのだと思います。
とは言え、私が規則をきっちり守る人間かというとそんな事はまるでなく、犯罪的な事はしませんが(笑)例えば赤信号を渡ってしまうとか、近道するために立ち入り禁止のエリアに立ち入る事を普段やっています(ごめんなさい)。
そんな行動をしているくせに、美術館や図書館で私語を交わしている人がいると、係の人にチクりに行くというダブスタな人間です(反省)。
HSPと聴覚過敏4 WAIS
前回からの続き。
コロナでなければ、美術館や博物館で話すのは許容されるのかな?
と思ってちょっと検索してみました。連れと感想など語り合いながら観賞するのは海外では当たり前。日本のようにしかつめらしくかしこまって鑑賞するスタイルの方がおかしい、という意見が少なからず見られてちょっとショックでした。
こうなるともう自分の考え方の問題になってしまいますが、座っていても一定に進んでいく映画や劇と違って、博物館や美術館は人それぞれ見たい物、心を惹かれるものは違い、いきおい鑑賞のスピードも違うと思います。だから私は人と鑑賞に行くのは好きではありません。行くとしたら、入口で分かれてそれぞれ好きなように回り、終わったら落ち合って感想を喫茶店で語り合ったりはします。
だから、ずーっとくっついて回って、ずーっと話している人たちに違和感を覚えてしまう。
図書館で調べていて、展示品を見ていて、他の人の話し声は音量の大小にかかわらずノイズであって、それに妨げられて調べものなり鑑賞に集中出来ないのです。
私が自分が聴覚に過敏なのではないか、と自覚させられたのは、今から6.7年前に病院でカウンセラーによるテスト、多分WAISを受けていた時です。
WAISは色々な検査をしますので、時間も一時間半~二時間と結構かかります。検査の中でも私の比較的得意な分野と、不得意な分野が出て来ます。
検査も半ばすぎて、少し疲れも出てきた頃に私が不得意とする分野の検査が始まりました。
HSPと聴覚過敏3
前回からの続き
ここでどういう場合に私が他の人の話し声を騒音、不快な音と捉えるのか考え直してみると
・閉鎖された空間
・本来話すべきではない場所
・思考・集中が求められる場所
・会話が続く
が挙げられるように思いました。
例えば飲食店では(今はコロナで黙食が言われていますが)ある程度連れと会話を
楽しむことが許容されている場所。あまり傍若無人に盛り上がっていればともかく
、例えば私は一人で隣の席で数人のグループが話していても気になりません。
電車… はコロナを抜きにすればある程度の会話は許容される場と思いますが、大きな声で周りに配慮せず話続けられると「いらっ」とします。先日、前に座った女性二人連れが大きな声を張り上げて話に興じているので席を異動したら、そこは四人連れが通路を挟んで騒がしくしており、再度移動した、という事がありました。
会話でなくてもイヤホンの「シャカシャカ」も気になります。先日見た男性は、音に合わせて体を左右に揺らしたり、エアギターまでしていたのでちょっとひきました。
しかし何より私が気になるのが図書館・博物館・美術館です。何か調べたり、鑑賞するために行くのである程度集中、思考を巡らします。そこに会話ー雑音・騒音が入ると、大きな妨げになり、私としては非常に困るのです。
先日某博物館に行ったら、これはコロナ対策だと思いますが「会話はご遠慮ください」というカードを係の人が掲げていました。でも、大声とは言わないまでも連れの人と作品に関して会話を交わす人は数多く、避けて違う作品に足を向けてもそこでも… の繰り返してでした。
HSPと聴覚過敏2
今週のお題の「初夢」で話が大分逸れてしまいました。すみません。
書きかけの「HSPと聴覚過敏」の続き。
HSPは、
・過剰な刺激を受けやすい。HSPの人は外部からの刺激に敏感なため、人混みや物音・光、食べ物の味やにおい、身につけるもの、気候の変化、人が発するエネルギー等、五感で受ける刺激に対して過度に反応する傾向があります。さらに、相手の感情や周りの雰囲気、気候の変化や電波(電磁波)、目に見えないエネルギー(人が発するものも含む)に対しても敏感に反応しやすいとされています。
・HSPの特徴としてDOESがあり、S=Sensitivity to Subtleties/些細な刺激を察知する
他の人が気づかないような音や光、匂いなど、些細な刺激にすぐ気づく
だそうです。五感のうち、自分が人より敏感だなぁと思うのは聴覚です。
これがいい風に働けば、音楽評論家になれるのかと思ったりしますが。
味覚に敏感なら海原雄山でしょうか。
私の場合、人が出す音ー特に声に対して敏感です。他人同士の話し声。乗り物の中、病待合室、市役所、etc。HSPが敏感になるのは、食器のかちゃかちゃ言う音やドライヤーの音、扉の閉まる音もあるとの事ですがそれらが気になった事はありません。
また、例えば親戚の集まりで親戚のAさんがBさんと話していたとしたら、それが多少大声で内容が不躾であったとしても気には障らないのです。
飽くまで「私が全く知らない他人同士のおしゃべり」が酷く気になって、時に非常に不快に思ったり怒りを感じてしまうのです。