そううつ色々図鑑ーメンヘラ歴1/4世紀ー

双極性障害持ちゆえに出会った色々な人たち、出来事について。精神科入院生活の有様。サイテーな家事・育児についても。

親ガチャ 医者ガチャ2

手術

前回からの続き。

utuutuyasuyasu.hatenablog.com

しかし、考えてみて欲しい。医者に診て貰うというのは、心身どこかしらを病んで弱っている。しかも多少の不調なら市販薬を服用したり、我慢する場合もあるだろうから

(そうでない人もいるだろうが)ある程度状態が悪いと考えられる。

いきつけ、かかりつけ医があればともかく、とりあえず近所の病院・診療所に行くパターンが多いのではないだろうか。ネットや本で評判のいい医者を探すほど余裕はない。遠くまで行くのは辛い。また、もし評判のいい医者を探しあてたとしても予約が一杯で、そこまで待てない事もあろう。

保健所に問い合わせても、自分の家から近い医院、つまり地理的条件+該当科の医院を紹介してくれるだけだ。

初めての医院にかかるのは少し勇気がいるものだ(私だけ?)。ふらふらになって、

勇気を出して受診して、信頼できる医師に出会えればそれほど幸運な事はない。

しかし、物事はそういつもうまくは運ばない。

人間同士だから相性もあるとは言え、基本的なマナーの欠如、そしてもっとも大事な医師としての力量に疑問がある医師に会ってしまった経験はないだろうか。

私の学生時代の同期で医師になって、診察は金目当て、と言ってはばからない根上君のような医師もいる。

utuutuyasuyasu.hatenablog.com

ドクターハラスメントと言えるようなケースも書いた。

utuutuyasuyasu.hatenablog.com

これは私の親戚が子供時代に体験した整形外科での実話。右足を怪我してメスをいれなくてはいけないのだが、医師は左足を処置しようとする。親は外で待たされていた。

子供ながらに「先生、痛いのは右足です!」と主張するも、問題のない左足に処置をされてしまった…。総合病院なので、上長の医師に変わり右足の処置はされ謝罪も受けたと言うが。心と足の傷跡は残っているという。

 

 

親ガチャ 医者ガチャ1

ガチャ

今年の共通テストに「親ガチャ」を連想させる問題が出題されたという。

news.yahoo.co.jp

「親ガチャ」は生まれ育つ環境を子ども自身が選べないことを表す言葉で、テストに出るほどに市民権を得、認知度が高い言葉になっていると思う。

「ガチャ」は、どんな品が出て来るか自分の意思で選べない。出たとこ勝負だ。自分の力ではいかんともしがたいのに、どんな親のもとに生まれたかによってその子供の人生が大きく変わる。親は一番身近で、長い時間を過ごし、時に子を支配し、時に大きな愛を与える生殺与奪の権を持つ存在だ。

 

「親ガチャ」ばかりではない。「教師ガチャ」そして「医者ガチャ」も人生を左右すると思う。

たとえ親ガチャに外れても、優れた教師に出会う事が出来れば、ある程度のリカバリーは可能ではないだろうか。教師が説得して親の態度を改める事もあり得るだろうし、愛情や信頼を子供に教える事も可能だ。いじめや不登校も、級友に問題があるケースもあるだろうが、教師が問われる部分も多いのではないだろうか。

親ガチャ、教師ガチャは子供という弱者、そして子供側からは選べない、第三者から一方的に与えられるという立場からの「ガチャ」である。

 

「医師ガチャ」、はずれの医者に当たる事は大人にでも起こる事である。生まれてみたらこの親だった、担任がこの教師だったというケースとは違う、と思われるかもしれない。

確かに「親ガチャ」←これはいかんともしがたい。親を取り換える事は出来ない 「教師ガチャ」←転校という最終カードもあるが、そこでまたガチャに外れる事もあるしリスクが高い とは違い、医者は自分で病院を選んでいく。通院をやめる事も出来る。

大人なら、子供より判断力も行動力も財力もあるはずだ。

 

 

今週のお題「あったかくなったら」

春

今週のお題「あったかくなったら」

毎年の、「あったかくなったら」「春になったら」あるあるを書きます。

今はちょっとコロナでイレギュラーですが…

 

だいたい、年末あたりから「来年になったら会おうよ!」「年が改まったら計画しよ!」という話が出て

具体的な計画を立て始める

寒いうちは嫌だよねー

3月は年度末なので忙しい

4月は年度始まりなので忙しい

5月にしよう!

でもGWは皆予定があるだろうからその後で

となると、5月中旬~下旬に予定が集中してしまい、お互い都合がつかなかったり

予定がかぶったり、

という事を毎年毎年繰り返しております笑(学ばないなー)

退院への道3

日程

また、何度も書いた「ヌシ部屋」の人々

utuutuyasuyasu.hatenablog.com

ももう「退院」を自分の未来の中に描いていないようだった。B病院で、ヌシ部屋同士仲良く過ごし、連続テレビ小説を見ていれば何の不満もないように見えた。

もし介護が必要になったら特別養護老人ホームなどに移るんじゃない、と入院仲間が予測していた。

 

しかし、私は自宅に帰りたかった。家族と過ごしたかった。元の生活に戻りたい。

退院が視野に入るようになって、

「旦那さんにも聞いてみてね」

と主治医が言った。夫はまぁまぁ出張が多い仕事なので、退院のタイミングは夫が在宅している時の方がいいだろうという判断だ。

夫と連絡を取り、○月✕日、退院という事に決まった。

ところが、である。退院三日前、私はナースステーションに行って看護師さんに

「明後日退院なので手続き、支払い等どうすればいいですか?」

と聞いた。すると看護師さんは

「え??安井さん明後日退院??五藤先生(主治医)から何も聞いてないけれど」

と返されてしまった。

「五藤先生と話して、明後日✕日退院と…」

「じゃ、あとで安井さんのところに先生に行って貰うから」

びっくりである。私はもう気持ちの上でも、また実際に荷物を整理したり要らない物を捨てたり、明後日病院を去る気満々なのに。

不安に思いながら部屋で待っていると、五藤医師が現れた。

「あれー-、僕明後日退院って言ったっけ??」

「前の診察の時言いましたよー。で、その時は夫も在宅だからOKでしょうって」

「そうだっけ??」

五藤先生ー-- しっかりしてよ。私は指折り数えて待っていたのに。

「そうしたら、退院時に渡す薬とか確認しなきゃいけないからちょっと待って」

結果。五藤医師の記憶喪失のお蔭で私の退院は一日遅れてしまった(笑)

(文中は全て仮名・仮称です)

退院への道2

 

拒否


何度か帰宅⇒失敗(盛り上がりすぎ)を繰り返し、ようやく家に二、三泊しても

普通に平穏に過ごし、家事も少しずつ出来るようになった。

「そろそろ退院してもいいかもね」と主治医は言った。私自身も、入院した時のような明日自分が生きていられるか分からないと言った切羽詰まった気持ちが無くなり、体が鉛のように重い状態から回復した事を実感していたので退院を不安に思うというより楽しみになった。

ここで不安、と書いたのは実際入院仲間の中には退院の許可が出ても、病院を出てやっていけるか、と不安を抱いていた人が少なからずいたからだ。

菅さんは統合失調症で入退院を繰り返している人だった。私が聞いた話だと、今回は3度目か4度目の入院。入院して2~3年との事だった。

治療の甲斐があって退院の目処がつき、役所や保健所などとも連携しながら(いわゆる身寄りのない方だった)諸々の手続きを進めていると聞いた。そんな時、菅さんが主治医の先生の後を追いかけて廊下を走って行くのを見た。

「先生!だから私幻聴があるんですってば!」すがるようにして、幻聴を訴えていた。

それを見ていた、菅さんと同室の佐原さんが「菅さん、良くなってるはずなんだ。でも退院したくないのよね。退院しても待っててくれる人がいるでなし。ずっと入院してて、家事なんかも出来ないみたいなのよ」

佐原さんのいう事がどこまで本当かは分からないが、入院⇒治癒⇒退院というルートを必ずしも望まない患者がいる、というのは事実だと思う。

(文中は全て仮名・仮称です)

退院への道1

退院

B病院(精神科単科病院)での「患者図鑑」で大分長くなってしまったけれど、

B病院の一回目の入院は4か月に少し欠ける位であった。   

 

まず、へろへろでもう動くのもやっとという状態で入院

医師から生活のリズムを取り戻す、起床・睡眠・食事を規則正しく取るように心がけるよう指示される

何とか食事の時間だけは起きるが後は殆どベッドに寝たきり

段々エネルギーが湧いてきて、食堂での患者同士の雑談に加わったり、作業療法に参加したりする(作業療法参加も医師の許可が必要)

半日外出⇒一日外出⇒外泊 と少しずつ病院の外に出る機会を増やしていく

 

という過程をたどった。外出も、最初は近所のスーパーやコンビニから始まり、

自宅への日帰り、自宅への泊りがけと進んでいく。自宅泊も一泊二日から二泊三日へ、と段階的に伸ばしていく。

外泊を許可されても躁状態になり、また後戻りとなったことは既に書いた。

utuutuyasuyasu.hatenablog.com

utuutuyasuyasu.hatenablog.com

理想は少しずつ家での日常生活、例えば家事や買い物をスムーズに行う事が出来る事。

それが安定して出来るようになって初めて退院が見えてくる。

入院仲間の鹿倉さんはシングルで一人暮らし。サポートする人がいないので、彼女が帰宅した場合は主治医は微に入り細に入り様子を聞いて、退院後彼女が一人暮らしが出来るか注意を払っていた。

私は家族がいるので、そしてヘルパーに手伝ってもらう旨も伝えてあったので、まぁ7割8割大丈夫なら退院しましょうか、という主治医のスタンスだった。

(文中は全て仮名・仮称です)

HSPと聴覚過敏5 WAIS続き

騒音

前回からの続き

utuutuyasuyasu.hatenablog.com WAISは知的能力の他、言語能力、抽象的思考力、記憶能力、処理速度を測ります。

多分記憶能力のテストに差し掛かった時だと思うのですが、私が検査を行っていた部屋の隣の診察室に患者さんが入って来て、医師と話し始めました。それほど声高ではなかったのですが、話の内容が分かる程度のボリュームでした。初めは気にしないようにしてテストを進めて行ったのですが、もともと不得意分野という事もあり、集中できなくなって「すみません、隣の部屋の声が気になって出来ません」とカウンセラーに伝えました。

カウンセラーはちょっとびっくりした顔をして、もう少しやってみましょうと言って検査は進み、処理速度になると隣の会話が続いているにも関わらずスムーズに答える事が出来たのです。

次の受診の際、WAISの結果とカウンセラーのコメントを見た主治医から、要は私が不得意とする分野の検査だからことさら隣の音が気になってしまったのだ、という旨伝えられました。

どうやら私は「聞き流しながら」「音と同時に」物事を行ったり考えたりするのが苦手なのでしょう。

 

それに加えて、静かにするべき博物館、図書館で私語をしている!電車の中でうるさい!周りを顧みない行動に義憤を感じてしまう面があるのだと思います。

とは言え、私が規則をきっちり守る人間かというとそんな事はまるでなく、犯罪的な事はしませんが(笑)例えば赤信号を渡ってしまうとか、近道するために立ち入り禁止のエリアに立ち入る事を普段やっています(ごめんなさい)。

そんな行動をしているくせに、美術館や図書館で私語を交わしている人がいると、係の人にチクりに行くというダブスタな人間です(反省)。